赤堀雅秋 作・演出。赤堀は1971年生まれ。
今年41歳になる。野中隆光、児玉貴志も1971年生まれ。
日比大介は1973年生まれ。
アラフォーの男たちが中心の舞台である。
おっさんばかりの出演者に少し若手の黒田大輔(1977年生)と
滝沢恵(1976年生)の30代半ばが加わる。登場人物は6人。
舞台は「大場家」の1階のダイニング。生活感がある。
棚の上には段ボールが置かれ、その他にも
ごちゃごちゃといろんなものがあり、
ああ、こういう家あるなというリアリティを生んでいる。
男たちが喪服姿で部屋に戻ってくる。
この家が経営している「スーパーおおば」のオヤジが死んだのだ。
その通夜の夜の数時間が描かれる。
20年ぶりに突然戻って来た長男(赤堀雅秋)。
オヤジにボコボコにされるのが嫌で家を飛び出したまま、行方知れずだった。
いまは、名古屋でトヨタの自動車工場の期間工として働いているらしい。
この家に残ったのは赤堀の弟役の日々大介。
彼が妻と一緒にスーパーを支え、年老いて介護が必要になった母親と
一緒に暮らしている。
日比の妻は煙草が嫌いであるという設定。
にもかかわらず、登場人物たちはひっきりなしに煙草を吸う。
煙草をこれだけ吸う舞台を見たのは初めてかもしれない、
というくらい煙草を吸う。
日比は彼らが煙草を吸う姿を見るたびに
換気扇の下で吸ってくれと懇願する。
近所や親戚の細かなことに気を使いながら生きている弟の日比大介。
このダイニングで様々な葛藤が起きる。
離婚を考えている滝沢、
やりたくもない化粧品販売の仕事をしている
彼女の夫で赤堀たちのいとこである児玉貴志。
そして近所の電気屋の幼馴染の野中。
唯一の外部からの第三者が葬儀屋の黒田大輔。
これらの男たちが、どうしようもない男たちとして描かれる。
風俗に行ったときの話やウンコやチンコやマンコの話が
子ども時代と同じように繰り返される。
しかし彼らは40年生きて来たおじさんたちである。
社会人としてはバリバリの中堅幹部とでも言える世代。
しかし、赤堀はそこからこぼれおちた男たちを登場させる。
そして、どうしようもない環境とどうしようもない仲間の中に、
確かに笑って唄って生きていけるものがあるのだ!と教えてくれる。
どうしようもないけど愛すべき人々。
人はその弱さをきちんと認識出来たときに本当に優しくなれるのかもしれない。
その中で葛藤しながら生きていくことが現実なのだ。
格差社会が拡がっている今、赤堀は
演劇と言う資本主義とは対極の中で長年生きて来てきた。
そこから感じられた悲哀をねじれた会話と奇妙な設定で呈示する。
実は、その悲哀を引き受けて生きていっているのは
私たち全てに言えることなんじゃないだろうか?
こうして赤堀のメッセージは普遍性を帯びる。
目の前にあるものを受け入れながら淡々と進んでいこう。
そう、これは赤堀が描いた「どん底」なのだな?
オープニングと幕間、エンディングに徳島の「阿波踊り」の音が
流れるのが印象に残った。
「阿波踊り」の音楽を通じて、踊りながら死者を想い、
同時に、現世を受け容れていく。
お盆に行われるそれは「死者への鎮魂の曲」でもあるのだ。
それが、これだけポップで明るくていいんだ!
と、思った。