與那覇潤のことを知ったのは
NHKの若者向け討論番組「ニッポンのジレンマ」の第2弾だった。
現在、愛知県立大学准教授である
彼の発言がストレートで痛烈だった。
どんな人だろう?と思って
ネットで検索をかけたらいくつかの著書が出て来た。
そもそも日本近代史の学者だそう。
「中国化する日本 日中『文明の衝突』一千年史」
2011年初版発行(@文藝春秋)の評価が高く
図書館でこれと、本書を申し込んだ。
本書は小津安二郎の映画に現れてくる
戦争の影響について詳細に語ったもの。
こうした視点で小津映画を語ったものは
いままでなかったのでは?
珍しい視点の歴史書として本書はまとめられている。
そもそも、映画ファンでも何でもなかった
與那覇が本書を書くに至ったのは、
彼の知り合いの先生たちが主宰している
「植民地と学知」という研究会だったそうである。
そもそも與那覇はそれまで映画史にも昭和史にも無知であった。
とあとがきに書いている。
にもかかわらず、膨大な文献や小津の過去の映画を読みこみ、
鑑賞して與那覇は本書を書きあげた。
一級のエンターテイメントの歴史的観点から見た
小津映画の評論集になっている。
それもこれも與那覇の知性によるところが大きい。
與那覇は1979年生まれ。
ということは、今年で33歳である。
30歳になってすぐのころから本書の執筆に取り掛かって
完成させたとは思えないようなものとなっている。
老成した、というと誤解を与えるかもしれないが、
とにかく文章が硬質で渋い。
しかし、それだけではなく、わかりやすく論理的で、
小津映画を見ているものは、その文章を読んでいるだけで
小津映画の描写されているシーンが思い出されてくる。
そうした表現力のある文章だった。
文体とか文章というものは
その人の年齢とはあまり関係ないのかも知れないな?
とこういう文章を読むと思う。
小津安二郎は戦地に二度行っている。
最初は1937年9月から39年9月までの約2年間中国の戦場へ。
二度目は、映画班としてシンガポールに
1943年から1946年までの3年間。
小津は1903年生まれなので、34歳から36歳、
40歳から43歳という年代で戦場に向かっていることとなる。
この経験は小津にとって生涯の強い記憶として残ったことだろう。
小津の映画には戦場は出てこないが
戦争の記憶はほぼすべての映画の中に出現する。
與那覇はそのことに目をつけて本書を執筆した。
本書の中でとても印象に残った言葉があった。
それは戦場に行った映画人たちは決して戦争映画を作らなかったというもの。
実際の戦争を目にすると、それを映画にすることなんてできやしない。
映画に出てくる戦争はある種の幻想であり
現実はそれを超えているのだろう。
衝撃的な言葉だった。…。
そういえば、小津映画で、軍艦マーチが流れるラストシーンは
何の映画だっけと思い出す。
そう「秋刀魚の味」だった。
小津安二郎の遺作となった映画である。