本屋さんで、教育心理の入門書がないかな?
と探していたら見つけたのが本書だった。
鷲田清一という方はプロフィールを調べてみてご縁があることがわかった。。
現在は大谷大学に籍を置いているが、以前は阪大の総長を務め、
その前は、関西大学の文学部の先生だったことを知る。
しかも自分が在学中に鷲田清一が先生として在籍していたことを知った。
それを聴いて何て惜しいことをしたんだ!と悔やんだ。
あの時に聴講していれば…。と。
学ぶということに対する欲が、年を取る毎に増えていく。
今の40代から50代の男性には良くあるパターンらしい。
懸命に鉛筆を走らせ、重要な言葉を筆写した学生の日々を思い出す。
そして、また、そういったことをやってみたいと思う自分がいる。
本書の出版は1999年の7月である。
本書は桑原武夫賞を受賞した。
ある雑誌に連載されたものがまとめられたものを、
こうして1冊の本にしていくのは
優秀な編集者の技量亡くしては出来なかったことかもしれない。
本書を読んでわかったことは臨床哲学と呼ばれているものは、
臨床心理学と限りなく近く、また臨床の精神医療の分野とも限りなく近いということ。
本書を読み始めたとき偶然だかどうだかわからないが、
高校の同級生で医師になり、現在、精神科の臨床医療の研修をしている
Kと会った。
彼女は人の話をとくかく良く聴く。
これまでもというくらいの熱心さで人の話を聞き続けるのだ。
その我慢強さはどこから出てくるのだ?
と思うのだが、我慢強いのではなく
彼女は真剣に患者の気持ちに寄り添おうとしているのだ。
ということが
後で彼女といろいろ話をしていて、わかった。
本書の冒頭の文章を引用する。
中川米造が「医療のクリニック」の中で、
ターミナル・ケアをめぐるアンケートのことだ。(中略)
5つの回答を選択する。
「わたしはもうだめなのではないでしょうか?」という患者のことばに対して、
どの答えを選択するのかの問いである。
精神科医を除く医師と医学生は
「そんなこと言わないで、もっと頑張りなさいよ」と励ます。
看護士と看護学生は「どうしてそんな気持ちになるの」と聞き返す。
そして、精神科医の多くが選んだのが
「もうだめなんだ…とそんな気がするんですね」と返す。
というもの。
その答えに対する説明が、その後の数百ページを割かれて
詳細に描かれているのが本書である。
それが、とてもスリリングで面白い!
相手の気持ちになって真剣に相手の話を聴くこと。
それは自分の時間を完全に相手に委ねるということになる。
委ねることによって、そばにいる人は安心する。
何をするでもない、ただ、そばにいるだけ。
でも、それでいいのだとその人たちは感じるだろう。
それが、臨床哲学である、と鷲田は説く。
それって、無償の愛の贈与なんじゃないか?
そうした行為を、人類はこれまでずーっと無意識に行ってきたのだ。