一瞬たりとも、休むことの出来ない瞬間が110分持続する演劇。
それを見た人は、ものすごい充実感でいっぱいになるだろう。
決してその場では、大げさで劇的なことは起こらない。
それが起こっているのは観客の頭の中だけである。
観客はその想像だけで起きている事実をつなぎ合わせて
ある種のイメージを完成させる。
そういうのが演劇を見るという行為なんじゃないか?
知的好奇心を刺激する演劇の最右翼に青年団という演劇集団が存在する。
本作はその青年団が松田正隆と組んだ傑作。
初演は1997年。
当時、平田オリザも松田正隆も33歳だったと聞く。
今思うとものすごく老成した二人だったのだと思う。
僕が本作を見たのは紀伊国屋ホールでの再演だった。2000年のことだった。
平田オリザ演出の松田正隆作品というものが
自分の中でごっちゃになっていた。
手帳を繰ってみると、1998年に青山円形劇場で「夏の砂の上」を見ており、
2000年に同じく、青山円形劇場で「雲母坂」を見ていた。
最初に女優の内田淳子を見た衝撃は今も残っている。
発声と彼女の声そのものと立ち姿で
魅せる技術を彼女はどこで覚えたのだろうか?
始めて内田の芝居を見てから10年以上となった。
そして12年ぶりの「月の岬」から見えてくるものは、
全ての生きとし生けるものに対する慈愛だった。
初見では、近親相姦的な姉と弟の愛情物語としてしか、
観ていなかったんじゃないかな?
幼いころに両親を亡くした三人兄弟。
一番上の姉(内田淳子)が家事一切を行っている、
それは30?過ぎになった今も変わらず、
結婚もせずに長崎県の島の一軒家を守っている。
弟(太田宏)は少し遅くなったが結婚することとなる。
一番下の妹(山本裕子)は結婚しており、近所に住んでいる。
妹の夫(河村竜也)は島の高校の先生をしており
同居している義理の父がアルツハイマーを患っている。
弟も同じ島の高校教師をしている。
その弟の結婚式当日の朝からこの舞台は始まる。
木組みで作られたセット。MONOの奥村康彦の手になる美術がいい。
開放的で風が吹き抜けるような板敷の居間。
奥には縁側があり外とゆるやかにつながっている。
日本の田舎の典型的な風景がそこにある。
縁側のひさしにはガラスの風鈴が吊るされている。
下手に棚がありそこに1台の黒電話が置かれている。
それから、いくつかのことが起きる。
おおげさではないが、身につまされるようなことがら。
姉の妻子ある男との関係。
弟の結婚にともなう、教え子たちの態度の変化。
特に女子生徒(井上みなみ)のエピソードが最高!
そして弟の妻(井上三奈子)の妊娠、などなど。
彼女や彼らはいったい何を考えているのか?
を想像しワクワクする。
決してハッピーだけではない現実をそのまま活写する。
観ている間、なぜか、小津安二郎の映画のことを考えていた。
「晩春」。1949年の傑作である。
小津安二郎46歳の時の作品。
そして是枝監督の映画「歩いても、歩いても」。
これらの家族を描いた傑作と比肩する舞台がここにある。
平田が折り込みでも書いていたように本作は
日本演劇の「新しい古典」になりうべく作品となった。
17日まで!