イングマール・ベルイマンの映画を最初に見たのは、
神戸大学の学園祭で医学部主催のオールナイト上映会だった。
深夜の神戸大学の体育館みたいなところで「処女の泉」というのを見た。
モノクロームで当時は16ミリフィルムでの上映だった。
決していいコンディションとは言えない中の上映だったが、
館内はオールナイトの熱気に満ちていた。
あれから30年経つ。
何年か前に、新聞でベルイマンの住処を訪ねるという
記事を読んだことがある。
スウェーデンの田舎町。
映画監督を辞め、時々舞台の演出をしながら
ひっそりと暮らしているとその記事に書かれており、
とても印象に残ったことを覚えている。
また、劇作家・演出家の山内ケンジさんの過去の公演を見た時に、
山内さんが「今回はベルイマンの映画を意識して書いた」
とおっしゃっていたことも記憶に残っていた。
そのベルイマンの映画がユーロスペースで上映されると聞いて、行って見た。
チラシにはイングリッド・バーグマン没後30年と書かれている。
映画自体は34年前の作品なのでバーグマンの亡くなる
4年前に公開されたということになる。
知的で強い美人という印象は晩年も変わらない。
映画は母親役のバーグマンが娘(リブ・ウルマン)夫婦の家に
7年ぶりにやってくるところから始まる。
娘夫婦は母親に手紙を書く。一緒に過ごしませんか?
長く居てもらって構いません。
静かな田舎町にベンツに乗ってバーグマンがやってくる。
彼女は現役のピアニストであり、いまも活動をしている。
彼女には娘が二人いる。リブ・ウルマンの妹は知的障害と
身体的障害を抱えている。
ここで何が起きるんだろう?と思って見ていたら、
この母娘の会話のシーンが壮絶だった。
娘は母親に対して昔からの出来事を例に挙げて責め立てる。
責め立てることによって自分が救済されようとするが、
そのことで逆にお互いが傷つきあう。
責める方も責められる方も救いが見えない泥沼にはまり込んでいく。
その会話で過去の事実があぶりだされ、
その事実を聞いて私たちはさらに衝撃を受ける。
決して明るい映画ではないが、ドーンとココロに重くのしかかる映画だった。
そして、救済は自らが「赦す」ことによってしか訪れない
ということを知るのである。
館内はお年寄りの姿が多く、
孫娘と一緒に来ているおばあちゃんの姿が印象的だった。