公演終了後、アフタートークが行われた。
作・演出の松井周と俳優の古館寛治が壇上で語る。
平日の昼公演というのにキャンセル待ちが出るほどの大盛況。
2階の桟敷席にも観客が。
公演終わってもほとんどの人が劇場に残りアフタートークに参加する。
ものすごく熱心な観客の集まった公演となった。
本作の初演は2006年。
アトリエ春風舎で行われたそれはかなり衝撃的なものだった。
この日のアフタートークで観客の一人が、
この舞台について「露悪的」という言葉を使っていた。
いい方を変えて「ディストピア」という言葉も使われており、
これらの言葉はまさにこの舞台を象徴する言葉じゃないかな?と思った。
2006年当時は、
この舞台に出てくるような「万能の水」みたいなものを売っている
「自然食品店」みたいなところを「うさんくさい」ものと感じた
松井の想いがそのまま上演され、そのことが観客の笑いを誘った。
初演では、古館演じる教祖的な役割の相川が
より独善的で、その「こっけいさ」が際立っていた。
松井はアフタートークで、今回は、
3・11を経てその「こっけいな」感覚が弱まり、
この自然食品店の集団が描く「疑似家族的に共生する」ということが
共感され理解される状況になってきたのではないか?と語る。
その共感はわかる。
わかるが、この演劇のもつ「ヒリヒリとした精神の奥底を刺激する感じ」は、
それ以上の人間の根源に到達するインパクトを持っているので
ある種の「気持ち悪さ」が、簡単には払しょくできない。
「人ごとですから…。」と笑って済まされない感覚とでも言うのだろうか?
3・11あるいはリーマンショックを経て、本作は
初演とは違う意味で深く琴線を刺激する舞台となったというのが、印象。
ある人の生き方や考え方の根本を刺激するのが優れた演劇作品だとすると、
本作は明らかにそのたくらみに成功している。
この日の朝日新聞の朝刊に、たまたま森達也(作家・ドキュメンタリー監督)が
オウムの麻原の死刑についての記事を書いており、そのこととシンクロした。
世間は悪と断じたものを考えることを放棄して性急に罰しようとする。
そのことによって何ら解決出来ていないオウム問題は闇に葬られてしまうことになる。
それでいいのか?と森達也は警鐘を鳴らす。
連合赤軍に居た人々が処刑されないまま現在まで、生きており、
彼らがようやく今になって、あの時の本質を語り始めた。
そういう解明がオウム事件でもなされなければいけない。と。
カルト集団の持つ、特殊なベクトルを理解することから、
何らかのカルトを解き明かすヒントみたいなものが見えてくるのでは?
古館寛治、古屋隆太、山内健司のベテラン陣がいい。
そして、若い女優、富田真喜が印象に残った。2月3日まで。
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