現代美術家の会田誠を初めて認識したのは
美術手帖に掲載されていた1枚の絵だった。
日本画的な描線がはっきりとした絵画は
まるで漫画のようでもあり現代の浮世絵のようでもある。
ウルトラマンに出てくる
巨大になったフジ隊員が
キングギドラに犯されているというもの。
これを見て驚いた、こ、こ、これはアンモラルでありながらも
刺激的で見るものをいつまでも釘付けにする強さを持っている。
その後も会田誠は作風を変え続け、
何年か前の横浜トリエンナーレでは
自ら「オサマビンラディン」に扮したビデオを製作したものが流されていた。

毎回手法が変わり、ありとあらゆる手法を試して、
次はまったく新たなことを始める。
芸術家とは「破壊と創造」を繰り返す人だ!
と言われるが会田誠はまさにそれをやり続けている人、
成功とか性交とか失敗とかうんことかそんなものはどうでもよく、
すべてのものが表現の対象になり何ものをも束縛されないものが
会田の根本にある。
先日、新聞記事で会田誠展に不快感を感じる作品がいくつかあるので
何とかならないか?と市民団体から抗議があったと書かれていた。
それに対して森美術館の館長は、そういった作品も含めて
すべての作品を見ることによって会田誠を知ることが出来るのであるから、
何ともなりませんです!というようなコメントを発表していた。
そこで問題になった作品群は、その部屋に入る前に注意書きが書かれており、
こうしたものを不快に感じる方はご覧にならなければ
というようなことが記してある。
見終わって、館長の言葉に納得し、
あの作品群の持つ強さとあれを会田が書かずにはいられない
ということにとても興味を持った。
倫理とかそういうものが芸術の表現を縛るのなら
それを解き放とうというのが芸術の基本。
問題になったのは四肢の手と足を切り落とされた少女が
犬のようになって首輪をつけられたもの。
手足には包帯が巻かれており痛々しい。
犬になった少女はあどけなく、そのあどけなさが犬の持つ無邪気さと通じる。
そんな作品である。
同じ部屋にあった、日米の太平洋戦争をモチーフにした
漫画「ミュータント花子」も凄かった。
日本の若い男女が米国の軍人たちと戦うというもの。
荒唐無稽さの中に、ここには本当の事実が書かれているのでは?
という気にもなった。そういった事実が記されないまま
葬られたのではないか?ということに会田は改めて光をあてる。
戦争とはこういうもんだよ!ということとともに
荒唐無稽なギャグが盛り込まれたものだった。
それ以外にも福島の原発事故を扱ったもの、
標語ポスターの課題をパロディにしたもの、
巨大なミキサーに入っている大量の裸の少女たち。
ミキサーの下の分分は血の海となっている。
エロとグロとナンセンスの世界を究極まで突きつめた幼児性!
とでもいうのだろうか?
それこそが会田誠なのだ!
一度見ると忘れられなくなる展覧会。3月31日まで。
htmx.process($el));"
hx-trigger="click"
hx-target="#hx-like-count-post-18591815"
hx-vals='{"url":"https:\/\/haruharuy.exblog.jp\/18591815\/","__csrf_value":"247ff5fb6dfedf32ad609373ec1b919c9dd7b79f14f5080d8d3236767d92331b0944b44f72211a8ac51dcf08fe35c7366c650dbf825b11459a74d2e558621e0b"}'
role="button"
class="xbg-like-btn-icon">