鄭義信の脚本。新国立劇場で鄭義信と言えば「焼肉ドラゴン」!
在日の人たちを描いた傑作である。
今回は、その鄭があらたな戯曲を書いた。
舞台は、韓国のある島とある。
その島では生前に結ばれなかった男女の死後に
婚礼の儀式を行うらしい。
実際に韓国の済州島にはそういった儀式があるそうだ。
そのエピソードを絡めて鄭は現代の心中物を完成させた。
今回の日韓合作は演出が韓国の国立劇団芸術監督のソン・ジンチェク。
ソンさんは「マダンノリ」という手法を使って舞台を進めていく。
これは一種の音楽劇的な形式。
「マダン」は「広場」、「ノリ」は「劇」という意味らしい。
ソンさんは1981年から2011年にかけて
毎年「マダンノリ」公演を行ったとある。
本作も実際に舞台は観客席と同じ高さで丸い広場状になっており
上手にはドラムセットとキーボードとギターが数本、
そしていくつかの打楽器、下手にはグランドピアノと
演者が演奏する管楽器や笛などが置かれている。
最初、オンシアター自由劇場みたいだな?
と思った。出演者たちが全員登場して音楽に合わせて歌い演奏し踊る。
今回、戯曲を描く前に演出のソンさんから作家の鄭に
「祝祭劇をやりたい」というオファーがあったそうだ。
祝祭性というのは反面悲しみにもつながる。
祝祭性が強ければ強いほど、悲しみも強くなる。
祭りとはそういうものなんだろうなあ?と舞台を見ながらぼんやりと思った。
死者の婚礼の儀式はまさにその両義性を描いたものと言える。
物語は、ある島。ここに温泉が出るという噂を聴いて、一発当てようとする人々、
また自分たちの土地をさらに大切にしようと考える人々。
外部から勝村政信が弟の成河と一緒にこの島にやってくる。
勝村は金をたくさんもっており
その金でこの温泉と土地を買収しようとする。
キム・ジンテが中心となっている村は、自分たちの住む村は
自分たちで守りたいと訴える。
しかし、登記上この土地はキムさんたちのものではない。
住んでいる土地は誰のものか?ということを考える。
今、問題になっている日中の「尖閣諸島」の問題、
そして日韓の「竹島」問題を想起させる。
成河はこの場所でキムさんの娘、イ・ボンリョンと出会い恋に落ちる。
この二人の禁断?の恋愛を中心に物語は進んでいく。
それを彩る色ものとして男三人の温泉を掘って一山当てたい男たち、
酒向芳、森下能幸、谷川昭一郎がいる。
彼らはときどきアドリブで台詞を言う。
演出家の狙いだろう。
少しばかりぎくしゃくしたが公演後半には上手くいくに違いない!
そして、もう一つの語り部として、
仕事も住むところもなく故郷を追われた男女が登場する、
千葉哲也とちすん演じるこの二人は
まるでフェリーニの映画「道」に出てくる男とジェルソミーナみたいである。
この二人の愛のカタチを見ていると
何故かうるうるとしてうくるのだ。
知恵遅れのちすんの純粋性にだろうか?
3ステージ目だったので、構成なども含めてぎくしゃくした感じはあったが、
それを圧倒的に上回る感動が押し寄せてくる。
人が人を受け容れ赦すということ。
そこから対話が生まれ共生が生まれるということ。
それらのことをこうしたカタチで昇華させた鄭は相変わらずの筆力である。
後半の30分間が圧倒的な迫力の舞台だった。
是非劇場に!26日まで。
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