副題は「進化してんのかしてないのか」というもの。
人間愛とは?ということが具体的な物語とともに語られる。
はえぎわ初観劇。この作品は再演だそう。
作演出のノゾエ征爾が本作を再演するなら是非、三鷹で!
と言われていたのを覚えており今回、本作の上演が実現したことを聞いた。
新たな演劇の形がこの作品のそこここから見えてくる。
傑作。
真っ黒な床と壁面が三方向にあり、下手の方に
トタンのシャッター扉が取り付けられた小屋みたいなものがある。
とてもシンプルな空間。
開演前の舞台真ん中に工事の案内板みたいなものが置かれており、
そこにはアイコンで撮影禁止、携帯電話禁止、飲食禁止などが書かれている。
あともうひとつよくわからないものが書かれている。
パックマンみたいなアイコンが何かを「エクトプラズム?」
食べているような?
そして一番下には、本公演で使われるチョークは
安全なものを使っています。と注意書きがされている。
ああ、チョークを舞台で使うんだということがわかる。
そして本作ではこのチョークがとても大切な小道具となる。
小道具って言うか?・・・・。
またアイコンの良く分からないものであるが、
本作はそうした、なんだかわからない
妙なことが劇中で普通に行われる。
俳優たちはその不条理でよくわからないことを
大真面目にひょうひょうと行うので、
それがさらに笑いを加速させる。
スタイリッシュでおかしく、そしてジンジンとココロに響き
何故か切ない気持ちになる舞台だった。
柴幸男(ままごと)が本作では俳優としてメインとなる役を演じている。
同じ三鷹市芸術文化センターで上演された傑作
「わが星」の作演出でもある柴幸男は
今回は俳優に徹していたのか?
時々、彼が発する抒情的な言葉が、
これは柴幸男の言葉なのかな?と思えるものがいくつかあった。
そして、本作で作演出をしているノゾエ征爾も
俳優として柴幸男の兄の役で出演している。
特別養護老人ホームから抜け出してきた認知症のおばあちゃんと柴が出会い。
柴は自宅におばあちゃんを連れて帰り面倒をみようとする。
柴幸男は地元の会社と契約しておりイベントなどで
ピエロの役で出演するという仕事をしている。
そこに絡んでくる、会社の上司と新入社員、
そして養護老人ホームのスタッフたち、
向かいに住む、柴の同窓生とその先生。
認知症のおばあちゃんの娘と孫。
そして、何故かバスにいつも乗れない女。などが登場する。
これらの俳優がある一本の大きな物語の中で
断片的に登場し、それが最後には一緒になっていく。
結局、人間は生まれて老いて死ぬもの。
進化をしているのかも知れないけど、
みんな一緒。
だから、誰が面倒を見てもいいんだ!
という社会の理想郷みたいなものと
世間という現実とのギャップが描かれる。
柴の行ったことは、拉致監禁という犯罪でもあると言える。
そのギャップを描くことで私たちはともに
生きるってどういうことなの?ということを考えさせられる。
そして、演劇の表現スタイルがとても新しい。
16日まで。