作・演出 山内ケンジ。本作で城山羊の会公演も、14回目を数える。
2004年から10年。10年するとある形になると言われるが、
こうして毎年2回近く演劇公演を10年も続けていること自体に感服!
そして、いまや、城山羊の会は、演出の技術や戯曲創作も含めて
舞台の成熟度が増し、多くの人たちがやってくる公演となった。
肩の力も抜けてきて、山内さんらしいお笑いが
不条理な状況の中で香り立つ。
これこそ山内ケンジの一つの側面を典型的に表現した舞台とも言える。
山内ケンジが会社を舞台にして演劇を描く。
会社員が登場するものは過去の公演にもいくつかあったが
、今回はそのオフィスそのもの。
オフィスでは通常、起きないだろうことがここでは起こってしまう。
そして、それがギリギリのリアリティをもって描かれる。
なぜ、こんな不条理なことを、こんなリアリティをもって描けるのか?と考えた。
俳優たちの喋り方や動きが自然。
あれ?こうしたことがここで起こってもおかしくないのかな?
と思わせる何かがそこに表出する。
これこそ演劇の技術の一つではないか?
ポツドールの三浦大輔なども、そうした技術の高い舞台を創作する。
山内ケンジは方向が違えども、
表面に出てくるリアリズムみたいなものは共通している。
三方向から舞台を取り囲むような形で舞台が設置されている。
アイランド型のデスクがいくつか配置されている現代的なオフィス。
デスクにはノートパソコンが置かれている。
女部長(石橋けい)と課長(鈴木浩介)。専務(岩谷健司)
そして、部下たち、個性的な面々がスーツを着て会社員を演じる。
本作で奇妙なねじれを起こしていくのが、個人的な「感情」。
特に男女の恋愛がこのオフィスの中で複雑に絡み合い
その人間関係を見るだけでも相当なエンターテイメント劇となっている。
会社では会社員という演技をしている、と良く言われる。
その表層的なものを山内は恋愛を絡めながら引きはがしていく。
経済効率だけを優先させ
そのことだけに特化しつつある現在の会社で、
こうしたことが起きたらという喜劇にオフィスが変化していく。
これって安部公房や別役実の不条理劇?
その不条理な状況を現在社会のリアリティをもって描いた。
たてまえと本音が交錯する。
人間自身もそういうものなんじゃないか?というように聞こえてくる。
人間は一つでありその身体も一つ。
会社では仕事だけをしましょうというたてまえがありつつも、
人間はそのように役割を分断して単純に生きていけないんじゃないの?
とあたりまえのことをクールに言われているようだった。
その人間臭さを今回はこうした形で表し、
そこから奇妙な笑いが生まれる。
淡々とセリフを発する方が笑えてしまう、面白いことがある!
ということを確信させてくれる舞台だった。
16日まで。
この日はアフタートークで映画監督の本広克行が山内ケンジと対談!
終わり間際になって盛り上がったのだが、
時間切れとなってしまった楽しいアフタートークだった。
これは上演台本。劇場で販売していた。