ガリレオ・ガリレイの言葉「それでも、地球は回っている」は
人生をかけた劇的な言葉として知られている。
日本が江戸時代になったころ、イタリアでは
ガリレイが望遠鏡で天体を観測しながら
宇宙と地球のありように対して思いを巡らせていた。
考えるということは、想像するということでもある。
観測した事象が自分の想像によって整合性を持ち、
それが真理として帰結する。
それを発見すると人間はとても興奮するだろう。
そして、その整合性を多くの人間は美しいと思う。
きちんとバランスが取れて成り立っている世界はそれ自体美しい。
その美意識をもってしまうと、権力者から
考えを改めろと言われてもそう簡単には出来やしない。
表面的につくろうことはできるかもしれないが、
それ以上に従うことは自分が自分でなくなってしまうということを意味する。
本作で、ベルナルド・ブレヒトはそういうことを
民衆の目線で描きたかったのではないだろうか?
ブレヒトの作品の中で本作は「三文オペラ」とならぶ名作として語られている。
高瀬久男の演出。翻訳は岩淵達治。
岩淵さんと高瀬さんが本作の上演についてずいぶんと語り合ったそう。
岩淵先生はその舞台の完成を見ることなくお亡くなりになってしまった。
追悼の記念にあうるスポットのロビーには岩淵先生の生前の記録が展示されていた。
イタリアのフィレンツェで研究活動をするガリレイ。
コペルニクス的転回と言われたコペルニクスの
地動説を裏付ける研究を進めている。
しかし、ローマ法王率いるカトリックの総本山は、
そうした荒唐無稽な考えは人心を惑わすと言って受け入れない。
教会の異端審問官がガリレイのところにやってくる。
信仰をしながら農作業の仕事をしている
多くの農民たちの人心を惑わすようなことはやめてくれと言ってくるのだ。
既得権益を守り、現在ある状態を維持したいという力が組織には働き、
それがガリレイに圧力をかける。
ガリレイは最終的には異端審問官とローマ教皇の指示に従い、
自らの命を長らえさせるために沈黙を始める。
沈黙しながらも若き物理学者たちと共同で研究活動を行う。
その影響を受けて結婚ができない美しいガリレイの娘。
自分の信じるものを奪われる。
これは、見方を変えれば
日本での隠れキリシタンも同じようなこと。
ローマ法王庁が主体のヨーロッパでは絶対だったものが、
日本では異端とされる。
世界とはそういうものである。
宇宙や地球の真理は変わらないのか?
太陽を中心に惑星が回っていると当時の物理学者たちは信じていた。
しかし、その太陽さえも宇宙のスケールで見ると拡大し続け移動し続けていることが
わかってきている。
本当の真理とはいったい何か?
それを知ろうとしつづけるものが人間という存在なのかな?
優れた俳優たちの名演の秀作だった。