作:岩松了、演出:岩井秀人。
岩井秀人が演劇を志し勉強していた頃
「竹中直人の会」で本作が上演されたのを見た岩井は
魂が震えるような体験をしたらしい。
その経緯は岩井が書いた戯曲「演劇入門」(本広克行 演出)にも登場する。
そしてハイバイを結成し10周年の記念の年に
この戯曲が岩井の演出によって上演されることとなった。
企画したのは岩井秀人と制作を務める三好佐智子。
ハイバイの兼ねてからの想いだったのだろう。
しかし、これを演出するにあたって岩井は大きな問題に直面したらしい。
そのときの悩みが劇場に置かれている折込に書かれていた。引用する。
稽古序盤は、10年前にこの作品を見た感覚を探して、混乱してしまいました。
探せど探せど、あの時に感じたものが見当たりませんでした。
すんごい苦労しました。(中略)あるとき、その理由が分かりました。
僕は10年間かけて、「見る側」から「作る側」へ回りこんだのです。
これは自分の書いた台本を演出する時もなのですが、
「作る側」は感動も爆笑もしません。
ここには作り手としての岩井が10年かけて確立した確固たる思いが現れている。
舞台は弟夫婦(松井周・上田遥)の家のリビング。
真ん中に廊下があり奥へ抜け上手へ折れ曲がっており、
その先に浴室と洗面室があり、その先は玄関に続いている。
下手の階段を数段あがったところはキッチンとなっている。
モダンな間取りの家でここの洗面所と浴室が一緒になったところには扉がない。
そしてなぜかリビングの上手側には急ごしらえのカーテンがあり
リビングを二つに分けている。
何日か前から学校の先生(中学生?)をしていた姉(能島瑞穂)が、
突然、弟夫婦のところに転がり込み、一緒に暮らすようになった。
そこに新たに結婚することになった近所の幼馴染の
宮口(平原テツ)とその妻(永井若葉)が訪ねてくる。
舞台は、この二人が弟夫婦の家に来たところから始まる。
何気ない会話から緊張感のある関係が生まれて来る。
セリフをどのような間とスピードでどのような身体で声を発するかで、
その場の雰囲気が大きく変わっていくといことを実感する舞台。
奇妙な雰囲気になったりやるせない雰囲気になったり、
そしてなぜかとぼけたような雰囲気になったりする。
これは映像で伝わるのだろうか?とも考えた。どうなんだろう?
むちゃむちゃハイコンテキストな状況がそこで繰り広げられる。
そのことに対して敏感であるかどうかが、
この舞台を見た後の印象を大きく変えるのではないだろうか?
楽日に伺うことができたのだが、
その舞台は丁寧に丁寧に研ぎ澄まされた演出が施された場所だった。
能島の喋り方が今も残っている。
本当に何気ない台詞なのだが、あのような喋り方をされるだけで
世界が大きく変わっていく。
それを自らの経験と重ねわたしたちは舞台を凝視する。
月光の降り注ぐ雪の積もったマンションの外の風景が
脳裏に浮かび上がりさわやかな気持ちになる。