過去の名作を上演するという青年座・セレクション。
今回が最後のセレクションだそう。演目は「夜明けに消えた」。
本作は青年座の歴史的な演目らしい。初演が1968年!
紀伊国屋ホールで上演された。
当時の演出は栗山昌良、舞台美術は妹尾河童!
あの時代特有のシュールリアリスティックな舞台美術の
写真がパンフレットに掲載されていた。
その5年後、TVCM制作会社の日本天然色映画の
スターディレクターだった杉山登志さんは
「リッチじゃないのにリッチな世界などわかりません、
ハッピーじゃないのにハッピーな世界は描けません」
という言葉を遺して自ら命を絶った。
高度経済成長の中「いけいけどんどん」賃金も物価も上昇を続け、
そして「大きいことはいいことだ」というような言葉が世間を席巻する。
そんな時代に、本作の劇作家である矢代静一はどのようなことを感じながら
この戯曲を書いたのか?
あれから40年が経ち、日本も変わった。
先日、中国の今を伝えるドキュメンタリー番組を見た。
そこには経済合理主義と激しい競争社会で高度経済成長を
急激に成し遂げた中国の別の側面が描かれていた。
そうした競争に疲れた人々が心の平安を求めるようになったのか?
あの40年ほど前の私たちのいた日本と同じようなことが起きているのか?
中国人民たちは「儒教」の教えを請い、
そうした宗教的なことに魅かれていく。
共産主義と対極にあるような宗教的な考え方が必要になったというのも
資本主義経済を推し進めていった政策にも
その原因があるのだろう。
本作は、そのような時代に心や魂の平穏を「信じる」ことや「祈る」ことによって
得ようとする人間の葛藤を描いた戯曲と言えるのかもしれない。
演出の須藤黄英さん(映像テクノアカデミア 声優俳優科の講師もされています。)が
この戯曲を読んだ第一印象が
「未整理な私戯曲」。
この言葉は、この舞台を見てとても腑に落ちた。
その戯曲に敢えて取組み演出の須藤さんと
俳優たちはその中でもがき葛藤した。
この舞台はそのプロセスを見ているような舞台でもある。
ノッポという新進のファッションデザイナーが突然姿を消す。
時代の最先端をいく仕事をしている彼がなぜ失踪したのか?
ある男の彼についての独白からこの舞台は始まる。
ある日、そのノッポさんから分厚い手紙が届く。
それは彼の書いた戯曲だった。
舞台は1968年の日本と彼の書いた戯曲の劇中劇という二つの構造で描かれる。
その戯曲は、古代のエルサレムを舞台にした劇。
キリストが磔処刑にされた数年後が描かれている。
キリストを死に追いやったリーダーの娘が敬虔なキリスト教の信者となる。
その村にいた粗野な男。
娼婦とセックスしていれば満足な男の気持ちが
この劇中劇の中で変化していく。
僕自身、なぜ彼が信仰を得るに至ったのか?を理解することはできなかった。
後日談だが宗教なんて糞くらえと思ってこの戯曲を書き始めた
矢代静一がその数年後、遠藤周作の手引きによって
四谷の聖イグナチオ教会でカソリックの洗礼を受けることになったらしい。
彼の心の中にどのような変化があったのか?
そうした事実を知っただけでもとても有意義な舞台。
片岡富江さん(俳優・声優であり、映像テクノアカデミアの講師もされています。)が
この舞台の初演を見て「青年座」に入りたいっと強く思われたそうである。
そして片岡さんは23年後念願かなって青年座に入座した。
そして、この公演に出演することとなった。
本公演のパンフレットがとても良くできている。
時間があれば本作上演前に読むと
この舞台への理解の大きな手助けになるだろう。27日まで。




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