5月2日放送分を見る。
市川昆監督が2003年にWOWOWの特別企画で製作した
ハイビジョンドラマだと後で知る。
1949年の小津安二郎の名作「晩春」との比較でどうしても見てしまう。
原節子と笠智衆だったのが、長塚京三と鈴木京香に。
台詞回しは、往年の脚本ほぼそのままである。
時々設定を現代風にアレンジはしているが、
現代日本の口語はかくも変化しつづけているのかと思う。
いまでは、使われなくなった言葉が頻出する。
現代的な言葉に置き換える事を放棄してしまったのかどうだかは、
わからない。
ある種、世間とは隔絶された生活がそこから描き出される。
市川昆はカメラアングルが自在であった。
「え?こんな高い位置から、しかも斜め方向から人物を捉えていいの?」
などと小津安二郎の話法が身体に染み付いてしまっているので
最初すごく気になった。
しかしながら、ときおり、ローアングルや人物を正面に捉えた
切り替えしのショットが行なわれ。小津安二郎の世界を思い出させる。
見ていて不思議な気持ちになる。
このドラマを見ていて、「晩春」のオリジナルの記憶を
呼び覚まそうという企画だったのだろうか?
万が一、あの名作を市川昆監督が撮ったらどうなるだろうか?
という発意で始まったのなら、それは発意だけで終わってしまった。
大きく違うなと思ったのは鈴木京香である。
彼女は原節子と違って身体がもつ色香がある。
ゆえに、原節子のように父娘関係が概念的にならない。
鈴木京香は「女」を強く感じさせてしまうので、
父親である長塚京三との精神的な恋愛感情というものが
逆に感じられなくなるのだ。
鈴木京香には「処女性」は感じられない。
逆に、彼女の友人役の「緒川たまき」はこのドラマの中で
独特の違和感を放っていた。彼女こそ、世間から隔絶された存在。
存在そのものが現代的ではないところに、あの幾世代か前の台詞を話す。
それはまるでこの世のものとは思えない不思議な光景となって
僕の目に焼きついた。
ちなみに緒川たまきは2月11日生まれで、僕と誕生日が同じである。
松竹からレンタルビデオとセルDVDが発売されている。