東京国立近代美術館フィルムセンター。NFC。
チケットの半券には「NFC」と記載されている。
新藤兼人監督は94歳になった。いまでも現役である。
新藤兼人が脚本を書いた映画を見ていない日本人を数えるのは大変なことだろう。
それくらいたくさんの日本映画のシナリオを書いている。
200本以上を書き、40本以上を監督したとチラシに書かれている。
昨年、彼の自伝的半生を綴った著作「シナリオ人生」を興味深く読んだ。
シナリオライターとして京都の撮影所で現像の仕事をしながら、
少しずつ書き始めた経緯が記されている。
本映画は新藤兼人の監督デビュー作でもあり、
自分のシナリオライターとして駆け出しの頃をもとに作られた映画である。
実際、新藤は妻の久慈孝子を1943年に急性結核で亡くしている。
妻役の乙羽信子がいい。
彼女のまっすぐに夫を愛する姿が胸をうつ。
新藤役の宇野重吉が、最後の機会をもらい撮影所にシナリオを持っていき、
何とかかんとか採用される。2回目にして最後のチャンス。
帰ってきた夫は嬉しさのあまり、妻と相撲を取る。
上手投げで投げられる、乙羽。
しばらくの間起き上がらない乙羽。心配する、宇野。
妻は、「良かった、本当に良かった。」と畳に突っ伏して泣きながら笑っている。
撮影所で先生と呼ばれている人がいる。
溝口健二がモデルになっているのだろう。
その先生はシナリオのことで何度も何度も駄目だしをし、
書き直しを命ずる。宇野は懸命に書き直しに応ずる。
そして、最後には、先生の意見をそのまま直すことはしません。
僕は、僕なりに、命を削ってこのシナリオを書いています。
先生と僕との真剣勝負です。もう一度書き直させてください、と言わせる。
新藤兼人は映画監督ではなく、
シナリオライターこそが本来の彼が居る場所なのではないだろうか?
と強く感じさせる場面であった。
後年、彼のシナリオを実現化できない環境になってきたからこそ彼は、
監督業をやることになったのではないだろうか?
これはあくまで僕の推測である。
