藤田貴大作・演出。
藤田さんが26歳の時に書いたのがこの作品。
これが第56回岸田國士戯曲賞を受賞する。
その3年前の作品を29歳になった藤田貴大が再構成して新たな演出として発表した。
アフタートークでも同じ言葉が出ていたが
まさに集大成の感がある、
とても考えられた完成度の高い演劇作品となった。
藤田貴大の純粋さは、その純粋さがあまりにも透明すぎて、
いろんなものを透徹していく。
自らも傷つくだろうし、その周囲の人も影響を受ける。
それは大変なことである。
芸術家として、藤田さんは純粋に生きて来た。
そして、これからも絶対にこの人はこうしたカタチで生き続けていくのじゃないだろうか?
自らの体験を基に思考を突き詰めて突き詰めて
もうこれ以上突き詰められないというところまで突き詰めてポーンと出て来た、
一遍の短編詩のような世界である。
言い方を変えると、藤田貴大が描いた少女漫画とも言えるのでは?
藤田さんにはそういう世界を構築できる力がある。
日本の漫画文化の素晴らしいところは、手塚治虫の登場によって
深い心理描写を含めたストーリー漫画が生まれてきたということ。
さらには、そのさらに奥に存在する「少女漫画」というジャンルが確立されたということ。
少女漫画とは漫画という手法を借りた叙事詩であり抒情詩であり
私小説であり純文学である。
その世界観を藤田貴大は見事に舞台の上に再現する。
この舞台は多くの記憶の断片からできている。
いくつかの記憶のカケラをずーっと持ち続けながら私たちは生きている。
そのカケラが時には劇的になる。
そしてその記憶がマームとジプシーの中では反復されるのだ。
反復するさいにセリフを発するだけでなく、
そこに身体というものが加わる。
身体のきまった動きとともにある記憶のシーンが繰り返され、
繰り返されることによって見ている人の感情が揺さぶられていく。
だんだんとその揺れは大きくなっていき、
観ている人のココロのダムが決壊するのだ。
そうなると胸の奥がしくしくとし始めて、
もうこれ以上見たくないと言う気持ちと、いつまでも見ていたいという気持ちが同居する。
そうした世界をこのシアターイースト内に作り上げた。
演出については3年間でものすごく上手くなっている。
ジオラマなどを使ってそれをカメラで撮影し背景のスクリーンに投影する。
真ん中には大きな回り舞台があり、無塗装の木で作られた舞台からは
新築の木のにおいがする。
さらには新木といわれる5センチ角くらいの材木を組み合わせて
壁を作ったりお家を作る。マッチ棒で作る家のような。
こうした細かいところが丁寧に演出されているので
観客は俳優の演技に集中できる。
ある家族の物語。その家族の20年前から今、そしてこれからが描かれる。
藤田貴大29歳。物心ついてからの人生がここに投影されているかのように。
姉役の成田亜佑美がいい。そして弟と妹も!
いとこが遊びに来るシーンもいい。
サザエさん的な世界がそこに拡がり、
子供の頃の夏休みの思い出のような懐かしさを感じるだろう。
マームとジプシーをまだ見たことがない人には
強力におすすめします。22日まで。
そして、この舞台が6月28-29と北海道の伊達市でも上演されるらしい。
伊達市は藤田貴大の親やおばあちゃんが住むふるさとでもある。