うちの家はもともと高知県の奈半利という小さな町。
高知市から室戸のほうへ向かう、
くろしお鉄道「ごめんー奈半利線」というのがあるのだが、
その終点である。
先祖代々の墓が、奈半利の町から山のほうへ少しあがった街道沿いにある。
参勤交代のときに使われた昔からの街道らしい。家紋は「オモダカ」。
父親が死んでからもう20数年が経った。
20数年前の父の遺骨の納骨の時、妻をお墓参りに連れて行ったのが10年近く前。
そして、今回。なんと、10年に一度しか墓参りに行っていないことになる。
今度、母親が住む、大阪の高槻というところに墓所を求めることとなり、
うちの家の先祖代々の墓を移すことになる。
移すことになった経緯は、いろいろとあったのだろう。
墓所の面倒を誰が見るのか?日常的に面倒が見られるのか?などなど。
昔からある墓所に対しての思い出とが交錯して、
複雑な感情が生まれてくることとなる。
これで、僕たちの思い出の地としての奈半利という町に残っているものはない。
しかし、それが町を捨てていくものの宿命なのかもしれない。
父親の姉妹たちは、生まれ故郷に残せるものがないことに
どれだけの感慨を抱いただろうか?しかし、おばさんたちももう、若くない。
墓所の掘り返しは日曜日に行なわれた。
幸い、天候に恵まれ、太陽が照り付け、鳥たちが鳴いていた。
お寺さんがきてお経を唱えてくれる。
墓石が5つあったのでそれぞれに対してそれぞれ唱えていただく。
長い時間が流れる。
お祈りが終了すると、墓石を移動させ、
そこの場所を小さなパワーショベルで掘り起こす。
細かいところは石屋の職人さんが手掘りで掘ってくれる。
地面の下から骨壷が出てくる。
これらの壷から、一部の骨を拾って袋に詰め、大阪にもってかえるのだ。
父親の遺骨。おじいさんやおばあさん、そして父親の兄弟たちの遺骨。
父親の兄だった長男の遺骨は土葬のものだったので骨がそのままの形で残っていた。
長男は9歳で他界した。また、おじいさんも土葬だった。
木の棺おけに、入れられていたのだが、棺おけは崩れ跡形もなく
棺おけの下の部分だけが出てきた、
その上の土のなかから頭蓋骨と思われるもの、大腿骨と思われるものを拾い出し、
キレイに水で洗って袋につめた。
朝の8時くらいから始まって11時過ぎには全ての作業が終わった。
相変わらず、太陽は照りつけ、鳥たちが鳴いている。
僕たちのココロの記憶としては残っても、それ以外は何も変わらない。
こうして、奈半利の墓所は更地になり全てが土に還ることとなる。