中学生のとき、クラス単位で淀川の河原で大喧嘩をしたことがある。
当時の中学のガキ大将の意志だった。僕たちは仕方なく河原に集まり
大怪我をしない程度に、漫画「愛と誠」や「男一匹ガキ大将」のように喧嘩をした。
数日たって、誰が報告したのかわからないが警察がそのことを知ることになり、
僕も当事者として高槻警察署に呼ばれ、取調べを受けた。
ありのままを警官に話すと、警官はボールペンで薄い紙に、
僕の話したことをまとめたものを文章にした。
語り口などが全然変わっていて、硬い書き言葉口調になっていた。
事実に相違ないか?と聞かれた。
内容自体は間違ってなかったので、同意すると、母音をその書類に押された。
確か、5本全部の指の指紋をとられたように記憶している。
裁判員制度導入に伴い、
民間から選ばれた裁判員の立会時間を極力少なくするために、
検察が、容疑者に対しての取調べを録画、録音するという
制度が導入されようとしている。「ふーん」と思った。
これまでは、取り調べたことを全て文書にして、それを証拠として提出している。
全てが、文字データのみ。
裁判の時間を短縮しなければならない事情はわかるが、
短時間で人生の「罪と罰」を決められるというのは、どうにも心配なものである。
そこで、取調べの録画、録音をしようと決めたのだろう。
しかし、容疑者が俳優だったらどうだろう?
逆に表情がわかりにくい人だったらどうだろう。
人間とは面白いもので、面と向かってると、
何となくその人の本質的なところを感じられる能力がある。
うまく説明できないのだが、第六感みたいなもの。
この感覚が映像とか音声とかだと、なかなかわからない。
そこの所を検察は、わかっているのだろうか?
カメラを回しているとき以外の表情にその人の本質が現れたりする。
人をキチント感じることは、
その人の近くでその人の全てを感じることが出来ないと難しいと思う。
もし録画したものを見るのなら、延々と長時間の映像を見続けなければ、
容疑者の発言に至る本心はなかなか、わからない。
それはライブの本人を見るよりもしんどいことになりはしないか?
生の人を見続けることによって、多くの情報が得られる。
それはたくさんの舞台を見にいくと、経験的に感じる。
そういったことを前提にしつつこの制度を活用していかないと、
演出や演技が入ることになり、録画されたものや録音されたものは、
創作されたものになる危険性をはらんでいる。
ま、そうはいっても取り調べ調書も、ある種の、
検察官や警察官の創作の部分はあるのだが。