本作は2009年の作品の再演らしい。
チラシに作・演出の田川啓介がとてもわかりやすい解説を書いているので引用する。
ケータイで常に連絡を取り合うことを義務づけられた大学のサークルのメンバーが、
お互いを監視し合う状態になり、疑心暗鬼に陥って崩壊するさまが描かれています。
とある。2009年時にはケータイだったのが
いまやほとんんどの若者はスマホで連絡を取り合う時代になった。
直接通話するということが極端に減っていき
文字やスタンプで交流するようになっている。
ラインでの既読スルーなどでそこから事件やいじめが発生するというような
問題も起き始めている。
私たちも、どっぷりとスマホのある生活に浸り、
通話はよっぽどの時にするようになって
その他はラインやフェイスブックのメッセージ、SMSなどを駆使して
連絡を取るようになった。
いきおい時間がない中、多くの人たちがメールで連絡を取るようになったので、
電車内ではみんなスマホを見つめ続けているし、
街中での歩きスマホも激増している。
本作はそんな時代に合わせた現在の「誰」2015年版となっている。
舞台はある倉庫を改造した部室と呼ばれている部屋。
観客席はその部室の壁を大きく、くりぬいて横からのぞき見をしているような
状態になっている。
この部室は「まなざしの会」という会のものになっている。
「まなざし」とはお互いに相手を見続けようね、
そして寂しい人や孤独な仲間を救済しようね!
というようなことが主題となったサークルとでも言うのだろうか?
毎日、会員同士が1日1回は連絡を取り会話することが義務付けられている。
戦前に「五人組制度」というのがあったが、
まさにスマホを使ったそのような制度として
田川はこの世界を描きたかったのか?
当日の折込のチラシに田川はコミュニケーションの不全を描きたかったと書いていた。
まさに平田オリザの著書にもある「わかりあえないことから」である。
が、ここでは、平田の語るメッセージとは逆のベクトルが働いていく。
わかりあえないことから、互いが疑心暗鬼に陥り本当のことを
誰も言っていないのか?どうなのか?という状況が徐々にあぶりだされ
奇妙な世界に陥っていくのである。
この奇妙な世界と空気はまさに水素74%らしい世界観であり、
この奇妙な感じを描いている劇作家はそう多くない。
そういう意味で田川は演劇界においての独特なポジションを
獲得しているのかもしれない。この日もこまばアゴラ劇場は満席だった。
24歳でこの戯曲を書いた田川も今や30歳らしい。
奇妙なことが起きながら人間関係が徐々に変わっていく。
別役実の不条理劇や阿部公房の戯曲にも似た独特の世界がそこに拡がる。
俳優は青年団の流れを汲んでいるのであくまでナチュラル。
そのナチュラルな中に見え隠れする狂気が気持ち悪さを増幅する。
コミュニケーション不全の気持ち悪さと
そこから見えてくる関係性がずれていくことの気持ち悪さ、
そして狂気が見え隠れすることの気持ち悪さが三拍子で襲ってくる。
その三拍子はわたしたちのやわらかい場所を刺激し、
いやあな気持ちにさせてくれるのである。
それを、楽しめるかどうか?
実は、そのいやあな気持ちというのは
私たちみんなが持っている気持でもあるからそう思うんだろう。
22日まで。2時間弱の舞台。
オウム真理教の事件のことをうっすらと思い出す。



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