ここ数年、精力的に活動している木ノ下歌舞伎。
京都をベースにしているのだが、最近は評判が評判を読んで
東京での公演も多くなった。
関東在住の人間にとってはありがたい。
木ノ下歌舞伎はこれまでに数本見ているが、
演出家はどれも杉原邦生だった。
本作の演出は糸井幸之介。
深井順子の劇団「FUKAIPRODUCE羽衣」の全作品の
作・演出を手掛けている方。
以前、深井さんの舞台を見たのだが糸井演出には必ず歌うシーンが登場する。
というのも糸井さんは作・演出以外に音楽も手掛けているのである。
このマルチな才能の演出家を見初め、木ノ下歌舞伎の監修・補綴を務める
木ノ下裕一は、糸井さんを口説きに行ったと折込に書かれていた。
説得に起請文を使用したかは書かれていなかったが、
本作にはその起請文を初めとする紙に関するものがたくさん出てくる。
というのも心中をする主人公の男、治兵衛は紙屋の主人なのである。
妻子がいながら治兵衛はお茶屋遊びが好きでそこの芸子、小春に入れあげている。
一緒に心中しよう!と男は小春に迫るのだが、
小春は「死にたくない」と言って別の男と・・・!
紙屋治兵衛は失意の元自宅に戻る。
しかし、小春の態度は治兵衛の女房・おさんに頼まれてのことだった。
小春は一人で自害しようとすることを知った治兵衛とおさんは
それならば家にある財産を全部うっぱらってお金を作り
それで小春を身請けしましょう!
となる。
こうしたふところが広い、いや広すぎる人たちが
江戸時代を舞台にした古典ものでは良く描かれる。
歌舞伎や文楽、落語などで、そうしたふところの深―い考えをもった人を見て
観客は心を動かすのだろう。そこに希望が見えてくるのだ。
今以上に大変な生活だったろう時代に
庶民の娯楽として生きて行く希望を持たせることが
こうした演芸の大きな役割だったのだろう。
木ノ下歌舞伎はあの時代の演芸の持つ本質的な役割を舞台に再構築してくれる。
猥雑さと高貴さがないまぜになった魅力的で本能を刺激するような舞台の魅力。
それこそが歌舞伎などが本来持っていた魅力なんですよ!
と監修・補綴の木ノ下裕一は毎回伝えようとしてくれている。
それに現代的な演出と役者で応えようとする演出家と俳優たち。
そのコラボが毎回うまくいっているのには、
やはり木ノ下裕一の歌舞伎に対する深い造詣と愛情あってのものなんだろう!
近松門左衛門(1653-1724)がなにわの地でこれを書いた時の原初の魂が
こうしたカタチで再現される。近松さんがこれを今見たら、
そうそう、俺がやりたかったのはまさにこうした
エンターテイメントなんだようなああ!と言ってくれただろうか?
音楽が突然挿入され役者が突然歌うというミュージカル仕立ての
今回の木ノ下歌舞伎。あの時代のエッセンスを体験することが出来るかも。
島次郎の舞台美術がいい。平均台をうまく使っている。
平均台の平衡が崩れるときに心中が起きる。
そして、それは決して美しいものではなく情けないものなんだ!
というメッセージも同時に伝わってきた。7日まで。