副題は「1945/アチック・ミューゼアムと記述者たち」。
2年前に行われた公演のキャストを変更しての再演。
宮本常一に清水伸(ふくふくや)、澁澤敬三に俵木藤汰(ラッパ屋)、
その妻、澁澤誉子に松本紀保。
僕が見る、松本紀保さんが出演されている舞台公演はいつも記憶に残るものが多い。
この作品もまさに記憶に残る1本。
前回公演よりさらに深みが増している。ちなみに前回の公演記録は
ここです。
脚本:長田育恵(てがみ座)、演出:扇田拓也
舞台は1935年から1945年、三田の澁澤邸にある離れの屋根裏部屋にある
「アチック・ミューゼアム」。
澁澤栄一の孫である敬三は、祖父の興した第一銀行の副頭取などをやりながら
私財を使ってここで民俗学の研究をする場所を作った。
そこには様々な民俗学者が集まった。
民俗学にもいくつかの学派があったらしい。
学者肌で研究が中心の柳田國男学派。
そして本作に登場する宮本常一はフィールドワークを中心にした研究調査を行っていた。
若い頃、肺の病気をした宮本は劇的な回復をし、歩いて様々な地方を訪ねて回り、
その地域で口頭伝承で伝えられていた地元の人の知恵を記述しつづけた。
本作では彼らのことを「常民」と呼んでいる。その「常民」の大きな知恵という財産を
宮本常一は記述しつづける。
そして、それが出来る環境を澁澤敬三は用意し応援する。
時は昭和10年から20年のことなので軍部の台頭が顕著になってくる。
宮本もスパイ容疑で憲兵に追われる。
そうした圧力から徹底的に戦おうとする宮本と
それを身体を張って応援する澁澤敬三。
本作は、彼らの友情の物語でもある。
緻密に丁寧に練りこまれた戯曲には今回もたくさんの素敵な言葉がつまっていた。
人間の大きさとでも言うのか?
本当に懐の深い人間を見ているとすがすがしくなる。
本作にはそうした人たちがたくさん出てくる。
前回、本作を見たときにこの舞台を評して 「高潔」 という言葉を
使わせていただいたが、今回もまたその言葉が頭の中を回った。
「高潔」に生きるとはある覚悟なくしてはできないこと。
いろんな立場の人が
その立場の中で覚悟をもって精一杯生きている。
戦争が終わって澁澤敬三は財閥解体をも視野に入れた覚悟をする。
そしてその妻はそれを聴いて、家を出て行くことによって
澁澤の意思を受け入れようとする。
妻は、三菱財閥の岩崎家から嫁いで来ているのだから、それを覚悟した澁澤と一緒にいることは
岩崎家の娘としてできないという判断である。
彼女の覚悟がここにある。素敵なシーンだった。
宮本は「常民」に向き合いながら生きていく。
しかし、そこには大阪に残してきた妻子の我慢と犠牲によって
成り立っていることも多分にあることを戯曲は描き出す。
さまざまな複雑な要素をごっそりと受け容れ肯定していくという
長田育恵の視線が暖かい。
見ている間中、泣けて泣けて仕方がなかった。
11月1日まで。