園子温の映画で「恋の罪」(2011年)というのがある
佐野眞一のドキュメンタリーで「東電OL殺人事件」(@新潮文庫)というのもあった。
1997年に渋谷の円山町にあるアパートでOLが殺されていた事件である。
大企業のOLとして働きながら夜は自らの身体を売る生活を続け、
ついには自分の命を失うことになった。
この女性は当時39歳だった。
マスコミがこれに飛びつきスキャンダラスな事件として報道された。
上記に挙げた以外にもこの事件に関しては多くの著作が出版されている。
そういえば桐野夏生の「グロテスク」もそうらしい。
うちの本棚に置いてあったなあと思い出す。
その事件をモチーフに猫のホテルの千葉雅子は
劇団員たちとまったく新たなテイストの猫のホテルの舞台を創り上げた。
いままでのネコホテファンなら、あれ?いつもの猫のホテルとテイストが違うぞ!
と戸惑われるかもしれない。
それは僕自身がそうで、これはどうなっているのだ?
千葉さんは何を伝えたがっているのか?という感覚に襲われたから。
そして見ている間中考え続けていた。
これは千葉雅子という芸術家がこの高学歴娼婦のココロの軌跡に
寄り添った思索の旅の記録なのでは?と。
千葉が彼女のことを考え彼女の本当の哀しみを探り出そうと考え続けた結果が
この舞台に結実したのかもしれない。
おバカなギャグや、笑いが満載だった猫のホテルが、
その哀しみが生まれてくるところはどこなんだろう?
と探し続けているような。
本作は2年かけてのリーディング公演を経て生まれたとある。
お客さんの前で何度かこの戯曲のリーディングをし、
その結果を通してこうしたカタチになっていったのだろうか?
猫のホテルの俳優たちは相変わらずの濃いキャラクターであり、
客演の平田敦子がそれに輪をかけて濃い。
千葉雅子はある種の語り部となり、主人公である
高学歴娼婦の一面を演じる。
そして佐藤真弓が高学歴娼婦のもう一つの面を演じる。
という二重構造になっている。
刑事もそして娼婦を買う客も同様の構造。
誰が誰やらわからない、ということは私たちも何かが狂えば
容易にこうした事件の当事者になることが予想される。
哀しみを湛えて生きて行かなければならないということから
必然として起きた事件なのだろうか?
ことの大小はあれ、こうした事件は私たちの周りに普通に存在しているのだ!
と
その哀しみの気持ちを千葉雅子はボードレールの1行の詩の中に映し出す。
「雪崩よ・・・」から始まる1行の詩はあきらかに「死」に向かっていく「詩」である。
自らが主体となって「死」に向かって行った。
そんな生き方しかできない高学歴娼婦だった女性は
果たしてどんな気持ちだったのだろう?
と考える千葉雅子の想像の舞台である。
これから猫のホテルはどこへ向かうのか?