作:竹内銃一郎、上演台本:ノゾエ征爾、演出:小野寺修二、
出演:小林聡美、片桐はいり、藤田桃子。上演時間1時間20分。
本戯曲は1981年に岸田戯曲賞を取った作品。
80年代はサブカルがブームになり軽薄という言葉が「軽チャー」などと
いうような言葉とともに主流になる時代だった。
80年代にバブルを駆け抜け、それが弾けた.
その後20年以上のデフレ経済が続くことになり
2008年のリーマンショックやいくつかの震災や原発事故を経験して今に至る。
時代は変わる。そして、いまこの戯曲を上演する意味はどこにあるのだろうか?
三好十郎などの戯曲が再上演されているのを見ると
今の時代に合う戯曲だったんだな!
と感じたりするのだが、「面白いこと」「笑い」の定義がこの30年で大きく変わったのでは?
本作は、サミュエル・ベケットや別役実の不条理劇の系譜にあたる
戯曲と思えるのだが、本作を上演する意味を見ている間中考えてしまった。
笑いの質や言葉の選び方が変わってしまっているのでは?
三人の男たちが山田さんの家に大きなガラスを運び届けるというもの。
大きなガラス=大鴉?なのか・・・。
ハエギワやKERAが現在行っているナンセンスコメディとのギャップが・・!
ノゾエ征爾は上演台本で、小野寺修二は演出でそのギャップを
何とか埋めようと努力したのだろう。
片桐はいりがいい。動きが小野寺さんの持つパントマイム的な身体の動きを
身体ばかりではなく顔面までに到達させてしまう凄みがある。
そして「水と油」というパントマイム集団で長く活動をやっていた藤田桃子は
その勘所をわかっており、無声映画のように身体の動きだけで見せてくれ笑わせてくれる。
片桐はいりと藤田桃子が二人で大ガラスを運ぶシーンが印象に残った。
小林聡美には声の魅力がある。
ただし、片桐さんや藤田さんのような身体表現に比べると
小林さんの表現にはどうしても無理が見えてしまう。
二村周作のシンプルなセットと駒井友美子の色数を抑えた衣装がいい!
白と黒とベージュやカーキーだけの色の世界。チェスのような?
10月20日まで。