ポーランドの演出家:クリスチャン・ルパの舞台が東京にやってきた。
そして、今年もフェスティバルトーキョーがやってきた。
貴重な海外の公演が格安で見られる。
これから1か月半にわたり、以前より規模は小さくなったが
池袋や西巣鴨の劇場を中心に公演が行われる。
上演時間20分の休憩を入れてなんと4時間40分!
16時開演だった公演はカーテンコールなどが終わると21時近くになっていた。
ポーランドがどんなところかは知らないが
旧東ヨーロッパ圏の人たちは我慢強く、忍耐強く、辛抱強い(全部、同じ意味やがな?)
というイメージがある。
それゆえ、この舞台もじっくりとじっくりと話が進んでいく。
ある国立劇場をめぐる創作者たちの物語。
ある俳優が自殺する。それにまつわる物語が縦軸にあり、
国立劇場をめぐる旧態依然とした演劇界の状況を批判的に語るのを横軸に据えている。
全体を通してとてもシニカルな視点に満ちている。
この作品の翻案・美術・照明・演出を行ったクリスチャン・ルパさんの
視点でもあるのだろう。御年73歳という年齢から来る歴史から来た
達観なのか?
いくつもの矛盾点を抱えながら私たちは生きていかなければならないのだ!
というこことをそれぞれの俳優の立場から
舞台関係者の立場から語っていくのである。
時々、舞台セット上面に配置された大きな壁に映像が投影される。
ポーランドであらかじめ撮影されただろう映像が流れるので
ポーランドを追体験したような気にはなる、
のだが目の前に生身の俳優がいるのに
その映像を見せる効果はどこにあるのだろうか?
演出の意図がうまく汲み取れないまま舞台は進んでいく。
淡々とある種ダルな感じのトーンが一貫して4時間以上持続する。
決して明るいものではない。内省的なセリフの数々を組み合わせて
観客が自分の考えていることと融合させて楽しむ、
というのは演劇鑑賞の楽しみの一つである。
その時に重要になるのは、こうしたセリフ劇の場合、特に翻訳ものの場合、
翻訳された日本語である。
その字幕翻訳の精度と質が高いものでなければ
字幕を見ながら舞台を見ることを余儀なくされた観客は、
翻訳された日本語を解読するので、いっぱいいっぱいになる。
翻訳調で文語的な表現もそれが狙いであればいいのだが?
そうでない場合多くの観客はおいてけぼりを食うことになる。
言語が理解できているポーランド語ネイティブ?の観客からは
笑いが起きていたことを考えると???と少し残念だった。
海外公演のポイントはただ招聘するだけでなく、
その後、制作含めてどのように伝えるのかが大きなポイントになるのだな、
ということを実感した。23日まで。