昨年に引き続きニューマンルミネ0にて「マームとジプシー」の公演!
今年は何との新作!そして「マームとジプシー」は今年10周年を迎えた。
私が見始めて6年くらいだろうか?
一度見始めると、リピーターになってしまう。
洒落た衣装に身を包んだ観客が多く。特にミナ・ペルホネンなどを着た女性が多いと妻が言っていた。
ファッションショーかと思うような?
これは、一時のブームなのか?流行りなのか?・・・・?
そんな軟弱な予測はいい意味で裏切られる。
作、演出の藤田貴大は、いままでの作風を乗り越えようと新たな試みを手掛け、
本作品でさらなる進化を遂げた!
ミヒャエル・ハネケやラース・フォントリアーの映画、
さらには昔のカール・ドライヤーの映画などを思い出させる。
最近のウクライナの映画「ザ・トライブ」なども。
4部構成からなる。1部は「Sheep」2部は「Sleep」3部は「Sharp」
そして4部はエピローグと言い換えてもいいかも知れないが「Sheep Sleep Sharp」
タイトルが横に長い壁面に映し出される。
会場自体が横に長くまるでシネマスコープの映画フレームのようである。
そこに白い横長の壁が配置され、手前には食卓や椅子、
じゅうたんや長椅子などの小道具がシーン毎に俳優たちによって設置されていく。
これは従来の「マームとジプシー」を見ていた方なら想像ができるだろう!
また、同じシチュエーションやセリフ回しなどが
繰り返し登場するという手法も同様である。
本作の今までとの一番大きな違いはここで描かれた物語性。
ある種、幻想怪奇小説のような、あるいはスティーブンキングのホラーミステリーのような
様相を呈しながらも、さらにその奥にある何かを照らし出そうとしている。
ある村のある家族のお話。障がいをもって生まれてきた長女(青柳いずみ)を中心に物語は展開する。
その家には母親と妹が一緒に住んでいる。
父親は殺人の罪で死刑宣告をされており刑務所に入っていたのだが、ある日処刑されてしまった。
冤罪だったのか?どうなのか?明らかにされないが、
女性だけの家族は窮乏生活を強いられる。
母親は寝たきりになり、妹はお金の工面のために里に売られることになる。
長女は寝たきりの母親を楽にしてあげようと行動を起こす。
救いようのない世界が描かれる。
が藤田はそんな世界に一筋の光を当てようとする。
そのかすかな光を感じた観客は同時に救われた思いになる。
世界は簡単には変わらない。魂が進化するのである。
そんなことを藤田貴大は自らの物語ではなく、新たな書き下ろしのフィクションとして紡いでいった。
これは「マームとジプシー」の新たな方向を示唆するものだろう。
最近のハイバイの岩井秀人さんにも、同様のことを感じる。
自分とのことを語り終えたあとに何を表現するのか?
新たなステージが芸術家としての活動をさらに長くしてくれるだろう!
あのお洒落な観客たちは本作をどう見たのだろうか?
3部にわたって生成り色、黒、赤の衣装が印象的だった。
そして、いつもフォントや小道具、音楽のセンスがいい!
美しくグロテスクな舞台にささやかな光を当てる作品。上演時間 約2時間。