脚本・演出 夏目ありさ。東日本大震災とその後を扱った
放送局のワイドショー制作チームのお話。
報道局から、報道を知り尽くした男と
言われたジャーナリスト和田浩平(工藤俊作)がプロデューサーとしてやってくる。
彼がこのワイドショーのチームにやって来て去っていくまでが描かれる。
物語的には「シェーン」ものとも言われ「シェーン、カムバックううう!」と
言われながらも決して戻ってくることのないのがこのプロデューサーの和田である。
この構造は映画やドラマなどでも良く使われ、
伊丹十三監督の「タンポポ」もまさに「シェーン」もの。
この基本構造で出来た物語は面白くならないことはない!
個人的に子どもの頃からジャーナリストやマスコミの世界にあこがれていたこともあり
とても興味深く拝見した。
実際のTVの現場を良く知っていないとこの戯曲は書けなかったのではないだろうか?
何度もうるうるっというシーンがあり心の奥がしくしくとする。
演劇の最大の魅力がここにある。魂を揺さぶられるような感覚とでも言うのだろうか?
津波で被災した何人もの人たちに取材して、TVカメラの前で、生放送で語る
というシーンがあるのだが、ここは、とても印象に残ったシーン。
TVを見ていた友人があれはお父さんじゃないの?と言われてTV局に連絡する娘!
それに応じてTV画面に再度お父さんを映す。
それを見て生きているお父さんを確認して嗚咽する娘。
TVの生放送だからこそ出来るダイナミックさとインタラクティブなライブ感が出ている。
これこそがTV放送の、言い換えると報道の最大の貢献の一つじゃないか?
ジャーナリストとしてTV人としてどのような信念のもと生きていくのがいいのか?
ということを考えさせられる。
覚悟を決め自分の言葉で語るワイドショーのスタッフたち。
視聴者のためにいい番組、役に立つ番組を懸命に作ろうという
まさに基本的なことをちゃんとやろうぜ!
という哲学を和田プロデューサーは仕事を通じてみんなに語り続ける。
厳しくも本当の意味で優しい人でありたい、と和田Pを見て思った。
社会の仕組みでいろんな政治的な力が働き自由な発言が出来なくなって来ているTVの業界の人々。
でも、TVだから出来ることもまだあるのでは?
青井アナという女性アナウンサーが語った言葉が印象的だった。
民法放送を始める時に免許を与えられた事業だからTV放送に
必ずニュースなどの報道を入れてくれという前提があったらしい。
その時に報道番組に関してはスポンサーやCMなどの枠を設けず
自由に独立したものとして放送するということをなぜ決められなかったのか?
という言葉が重い。
オーバーコンプライアンスとか放送局の自主規制という言葉が
どんどんと大きくなる中、ジャーナリズムの根源とは何か?を考えさせられ、
その疑問を私たちに突き付けてくる硬派な舞台です。
上演時間約100分?
和田Pが去っていくときに政治部からやってきたディレクターの中山夢歩が
彼に向かって背伸びして揺ら揺らしながらも
愛すべき和田Pの真似を本人の前でするシーンが
笑えながら泣けてくる。
カーテンコールで観客と俳優たちが一体となって熱い拍手に包まれた。
声がつぶれてしまった俳優の横堀秀樹がその無念さを私たちに語ってくれた。
彼の悔し涙はプロフェッショナリズムとはなんだ?と語り続けていた
和田Pの意志そのものなんじゃないだろうか?24日まで。




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