久しぶりの、東中野。東西線の「落合」からポレポレと歩く。
昨年の山形国際ドキュメンタリー映画祭で上映された作品。
小川紳介賞と、国際批評家連盟賞を受賞。
こうやって受賞した作品は、再度取り上げられる機会を得るので、
僕たちも見ることが出来る。ありがたい。
ものすごく私的なドキュメンタリーである。
監督は加藤治代。1966年生まれ。
彼女の母親が「がん」を発病し、闘病から死に至るまでを
娘である加藤治代が延々と撮影している。
そこに母親の母親である。祖母が一緒に同居しており、
母親の息子(加藤治代の兄弟)の子供たちが登場する。
加藤家の4世代の人たちが登場した記録となっている。
真っ白なスクリーンにカルロ・ギンズブルグの書いた
「チーズとうじ虫」の一遍が映し出される。
母親とのエピソードはとりとめもない。
しかし、これが日常だろうという光景が羅列される。
シーンとシーンは白い画面でつながれる。
そこにエピソードを示すタイトルが示される。
静かなあまりにも静かな情景と風景が流れる。
DVカメラでの撮影ではあるが、ときどき挿入される風景の美しさに驚く。
また、風の音が撮影されたままの音で流される。
大きなノイズに過ぎないのかもしれないが、
その自然のノイズがたまらなく静けさを感じる。
ときどき、加藤は祖母の姿を撮る。
その姿の先には必ず「母親」がおり、祖母が母親を温かく見守っていることがわかる。
言葉なんていらない、という常套句が、「ありきたり」なものでないことを提示される。
アフタートークで加藤が語っていたが、
先輩諸氏たちから、「強い映像、肝心な画」が撮れていないことを指摘されたらしい。
でも、撮影よりも母親が大切なので撮影できなかった、
という加藤の言葉には説得力があった。
その撮影できていない部分を編集によって
白い画面だけで想像させるような構成に出来たことが
彼女のチカラじゃないだろうか?
印象的だったのが、「母親」の亡骸を前にして親戚が集まる。
孫にあたる2歳くらいの息子が、亡骸の前に来て、「母親」を踏みつけて渡ろうとする。
そのとき加藤の手持ちカメラがその子供へ。
何かを制しようとする意思をその子が感じたのだろう。
突然、声を上げて泣き出した。
言葉にしなくていいココロのチカラみたいなものが
ちゃんと撮影できていることにびっくりし、
言葉で伝えられないものが確実にあることを
再認識させられたシーンだった。