「よしはら・じろう」は1905年生まれ。明治38年である。
戦前から画を書き始めている。1
8歳の頃から晩年までの画が年代順に展示されていた。
こうして一人の作家の生涯を、作品を通じて見せていただくと
いろいろと感じることや考えることが出来る。
時代背景や生き方がそれらから見えてくる。
彼は、大阪の食用油屋さんのボンボンだった。
関西学院に入り、絵を描き始める。
初期はリアリスティックな中にも独特の色使いとパース感の違うものを
一枚の画にするという手法に彼ならではの特徴があった。

その後、海の見える独特な詩情溢れた画を描いていき、
抽象的な絵画に進んでいく。

彼は、藤田嗣治と出会ってオリジナリティが大切であると気づいたそうだ。
それが戦前に行なわれていたことに驚く。
戦前の人たちはこれらの抽象絵画を見てどう思ったのだろうか?
いま、NHKで流れている「純情きらり」もまさしくその頃の絵描きがたくさん出てくる。
戦時中に体制に反してよくあれだけ抽象的な画を描いていたんだと思う。

そしてその後、彼は、少女と鳥をモチーフにした不思議な絵画から、
抽象的ではあるがユーモラスな絵のタッチへ進む。
火山の噴火した画や菊の画のユーモラスさが僕は非常に好きだった。
さらに油絵のタッチやマチエールを主題にした絵画を経て
例の「円」を主体にした絵画に至る。最後はアクリル絵の具を使用していた。

簡単に特徴の変遷だけを追ったが、ここから感じたことは、
人はスタイルをどんどん変えつつも、生き続け作品を発表し続けるということ。
あの人は、こういうスタイルだからということが
通用しないのだということが非常によくわかる。
それ以上に、人自身が変わり続けられるんだよということを
今回の展覧会を見て強く感じた。