ク・ナウカが海外公演にひっぱりだこだと言われているのには理由がちゃんとある。
まず、世界の古典を翻案して上演すること。
能・文楽のように語り手と演じ手が分かれているという手法が日本的であること。
翻案したものが東アジアの伝統をくんだエキゾチックなものになっていること。
音とビジュアルが美しく、言葉がわからなくても感じることが出来ること。
特に、美加理という女優のエキゾチックでお人形さんのような魅力は、
ク・ナウカの看板になっている。
東京国立博物館は、独立行政法人化してからこういった催し物に
施設やスペースを積極的に提供している。ありがたい!
別のスペースでは「一角座」と称した映画小屋が作られ、
映画「ゲルマニウムの夜」が上映されている。
ただ、残念なのは、こういった催しを行なって得た収益などを基準にして
翌年の予算計画などが組まれると新聞で読んだ。
これは、おかしな話である。
これらの文化にかかわる独立行政法人は、
毎年成長を続けなければならない民間企業とは一線を画すものだろう。
少なくとも、そのような行政指導をしてしかるべきである。
この指導が、
逆に一生懸命やればやるほど、国立博物館のスタッフたちの首をしめ、
やればやるほどしんどい状況になるということなら本当に本末転倒。
いつまでも、このように提供し続けて欲しいというのが個人的な願いである。
(以下、ネタバレ含みます。)
今回の、舞台は、その国立博物館の本館の奥の庭園で行なわれた。
舞台は能舞台と同じ構造が取られている。
舞台の奥は大きな池があり、その奥はうっそうとした森のようになっている。
上手奥には茶室と思われる日本家屋があり
舞台の左右は木々が生い茂っている。
ときどき、森の中を風が駆け抜け、木々が擦れ合う音とともに、
肌に風があたり涼しさを感ずる。
真っ暗な中から、いきなり池や奥の森、茶室が見えてくるとびっくりする。
トリスタンは、明治時代の日本軍の軍人の正装姿。
イゾルデは琉球王朝のお姫様の姿で登場する。
この舞台は物語を楽しむことは主眼ではない。
この舞台の持っている世界観を感じられればそれでいいと思う。
宮城聡も語っていたが、これは、まさしく
三島由紀夫の耽美的な世界観に通じるものがある。
そして、マルケ王は、なんとこれは、明治天皇ではないだろうか?
そのイメージを強烈に感じた。
また、1幕目の最後にトリスタンとイゾルデが媚薬を飲み
お互いに自ら声を出すのだが、このシーンが印象的だった。
美加理は声もいいのだ!
象徴ではなく自らの意思で愛し合う二人を感じた。
2幕目でトリスタンとイゾルデはマルケ王の目を盗んで愛の交歓をするのだが、
軍服を脱ぐとさらしを巻いており、下半身は褌姿である。
美加理は白いワンピースから足を惜しげもなく露出する。
美しい交歓のシーンだった。
三幕目では、トリスタンの衣裳がアイヌの民族衣装をモチーフにしたものに変わっている。
「トリスタンとイゾルデ」自体がワーグナーのオペラで有名である。
といいいながら僕は音楽も知らないし、オペラはもちろん見ていない。
しかし、今回の舞台は音楽を聞いていて
あきらかにワーグナーの曲とは全く違うものを作ったのだなあということはわかる。
原田敬子の手になる音楽は、
非常に東アジア的で、印象に残る素敵なものになっていた。
芥川作曲賞というのがあるらしいのだが、
原田敬子はこの作品でその賞を受賞した。
これをきっかけに、ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」を
見てみたいと思った。