ソウルに初めて行ったのは2年前だった。
仁川国際空港の奇麗さに驚き、いまや日本はこの国に
デジタル化などでずいぶん遅れを取ってしまっているのではないか?と実感した。
韓国映画を見ていてもそう思う。
2年前は、明洞に泊まったのだが、そこから歩いて行った、ソウル駅は
日韓併合(1910年)時には京城駅と呼ばれていたらしい。
本作はその日韓併合の1年前の1909年のソウルが舞台である。
当時、日本人たちは朝鮮半島などを植民地として入植し現地の人を雇い商売を行った。
英国やフランス、オランダなど多くの欧州の国々が
すでに植民地政策を取っていた時代。
植民地にした場所で、そこに住む人たちに働いてもらい
多くの利潤を得るという構造が普通のことであった。
日本も欧州列強にならい、朝鮮半島や台湾、そして満州国の建国などの植民地政策を進めていく。
日本の富国強兵・殖産興業の政策が進んでいきこのようになっていったのだろう。
アジア人としてもっと違うやり方があったのかも知れないが、
私たちの先輩たちは第二次大戦で敗戦を迎えるまでその道を突き進んで行った。
現在の中国は経済支援という名の下でカタチを変えた植民地政策を行っているのだろうか?
ソウルにある豪商の家の居間が舞台である。
主人は山内健司。何度も増築されて巨大になった家。
そこに住み商売をしている篠崎家の家族たち。
妻(天明留理子)は後妻であり、三人いる兄弟(山本雅之・富田真喜・井上みなみ)は
前妻との間にできた子どもたち。
そこに居候しているおじさん(太田宏)と書生(大竹直)。
そして日本人の女中(兵藤公美・田原礼子)と朝鮮人の女中たち(荻野友里・村井まどか)。
そこに外からいろんな人が訪ねてくる。
商売もしているお屋敷なので昔はそうしたことが普通のことだった。
大工(石松太一)が玄関を修繕に来たり、
近所の印刷屋さんの夫婦(永井秀樹・松田弘子)がやってくる。
ここの奥さんはこの家の主のことが気になっているみたい。
また書生の同級生と言う手品師(秋山健一)が
日本から海を渡ってやってくる。
次女(井上みなみ)は文通相手の男性が日本から訪ねてくる日だというので
学校から戻って洋服に着替えて彼が来るのを楽しみに待っている。
その日常が90分淡々と描かれる。
そして、その淡々とした日常の会話に潜む真実を
私たちは劇を見ながら読み解き考える。
これこそが現在の平田オリザの原点であり、今の青年団を形づくった基礎となる表現。
この居間では何も起きていないかのように見えても、いろんなことが起きている。
日本は翌年朝鮮半島を併合しようとしている。
一旗揚げようとする日本人たちは満州をはじめとする新たな地へ開拓に出かけ一攫千金を夢見る。
本作でもロシアのサンクトペテルブルクに行こうとするものや
朝鮮人の女性と駆け落ちしようとするものが登場する。
何気ない会話から見えてくる植民している日本人の朝鮮や朝鮮人に対する会話から見えてくる意識。
ヒューマニズムやリベラルという言葉を使いながらもその実態は。
差別意識は差別をしているという感覚がなくても、無意識に持ってしまっているものなんだ!
という事実が見えてくる。
なぜ、私たちにはそうした差別する区別する比較するという
意識が芽生えるのだろうか?人間という生き物の性なのか?
民族が同じでもその中で差別や区別の意識が生みだされる。
平田さんが折り込みのチラシの中でこんなことを書いていた。
「舞台を見て、それについて自分の言葉で正確に批評を語り、
リベラルからも保守派からも信頼される、そんな文化外交のスペシャリストが、
日本にも登場することを切に願いたいと思います。
無理だと諦めるのではなく、そのような日が来ることを信じて、今日も舞台を創りたいと思います。」
文化芸術だけが世界平和を本当に作れるのかも?
上演時間90分。「ソウル市民1919」との同時上演。11月11日まで。