「埋める女~私は正しい」城山羊の会(@ザ・スズナリ)
作・演出:山内ケンジ(青年団の山内健司さんとは別人の)。
折り込みに山内さんが書かれていたが、この「城山羊の会」今後、しばらくお休みされるらしい。
もしかしたらこれから、しばらく山内ケンジ作品が見られなくなるかも知れない、
それもあってか舞台はぎっしりの超満員!
杉山至の手になる美術は大きな起伏のある丘陵地帯のようなセット。
地方の空き地みたいな場所なのだろうか?
岩谷健司が観客席に向かって語り始めることから本作は始まる。
今回の面白いところは出演している俳優陣のセリフの中で
観客席を意識させる箇所が何回かあること。
そのことによって観客もこの舞台に参加しているような緊張感が生まれ
静かなシーンがあってもセリフが聞こえてくるし
かすかな動きも見えてくる。
当然、眠るような人はいない!寝息が聞こえてくるはず。
(以下、多少ネタバレあり)
岩谷がトラックの運転をしているときに10台後半の少女(福井夏)に出会う。
彼女は夜中になぜかヒッチハイクをしており、岩谷は彼女を載せてあげる。
岩谷が配送先で荷下ろしを終え、東京に戻る途中でドライブインにて
彼女にハンバーグみたいな定食とうどんと、そしてソフトクリームをごちそうする。
彼女はそのお礼に私に出来ることと言って
岩谷に向かって股を拡げる…。そして…。
こんな冒頭からこの舞台は始まる。
その後、岩谷と彼女を巡る人たちがこの起伏のある空き地のような場所にやってくる。
岩谷の元妻(金谷真由美)とタバコ屋を営んでいる彼女の夫(?)(同居人)(岡部たかし)
そこに少女を探しに来た若者(伊島空)がやって来て
少女を連れて帰ると言うのだが、少女は嫌がっている。
少女の親だという奥田と呼ばれている男(奥田洋平)とその妻(坂倉奈津子)が最後にここに到着する。
その混沌の中、みんながみんな言うことが違う!まるで、芥川龍之介の「藪の中」ような。
そして本当のことを知ろうと観客は彼らの会話を組み立て始める。
演劇の最も楽しい行為の一つである。
この考えながら頭の体操のように物語の本当は何だろうか?と考え続けることを
強要されることが好きな人が演劇を好きになるのかも知れない。
そして、劇作家は私たちの予定調和をことどことく覆し破壊していく。
いや、壊して欲しいと観客も思っている。
その破壊力の大小によって演劇のわかりやすさとかが決まってくるのかも知れない。
大きな破壊力がやってきてもその変化に対応して行く!
劇場とはそんな作業の行われる場所なのかもしれない。
ダーウィンの言葉で
「変化に対応できるものだけが生き残る」
決して強いものや大きいものではない!という
進化論のお言葉を演劇の世界に置き換えて考えてみた。
山内ケンジの得意とする品のあるしかし色っぽい
艶笑喜劇的なシーンもたくさん登場する。
しかしそれよりも何よりも、本作で特筆すべきなのはラストシーン。
岩谷健司がそこに居て、岩谷のところに岡部たかしがやってくる。
平穏な場所、そしてさらにもう一人がこの平穏な場所にやってくる。
何もない日常で自然の移り変わりを感じながら静かに生きていけていることの大切さが、
この不条理な世界から伝わってくる。
上演時間1時間35分。12月16日まで。
これは上演台本。受付で販売している。500円(税込)