会社のM先輩とT先輩と観劇。私が20代だった頃、
M先輩のデスクの上に「寺山修司」のビデオが何本かまとめて置かれていたのを
強烈に記憶していた。
記憶が定かではないがそのビデオは、寺山修司が監督した前衛的な短編映画を集めた
『寺山修司実験映像ワールド』(ダゲレオ出版、1993年)だったのでは
ないだろうか?当時のダゲレオ出版を知るものならなーるほど!
と納得されるのではないだろうか?
そして私は、寺山修司の好きな人がうちの会社にもいるんだ!
と思って嬉しくなった。
明るく爽やかな世界を描くことが多いTVCMの制作の世界に、
こんなどぎついものが好きな先輩が居ることで、
私はこの会社の奥の深さや多様性を感じたのだった。
そのM先輩に誘われて、多分2回目の観劇ではないだろうかと思うのだが、
J・A・シーザー演出の万有引力の公演を見ることが出来た。
J・A・シーザーはもともと寺山修司の主宰する劇団「天井桟敷」で
音楽を担当していたらしい。
私の人生の最大の後悔として、生の寺山修司の演劇を見られなかったこと。
路上劇でも野外劇でも劇場公演でもなんでもよかった
1980年代に演劇を見始めていたのだから
無理をしてでも見ておけばよかったと本当に後悔している。
広告批評などの雑誌で寺山さんは谷川俊太郎さんとビデオレターの交換などを
したことが掲載されており、ものすごく新しいことを常に行いたいと
考えている人なんだ!と感じていた。
M先輩は、寺山修司亡き後の万有引力の公演を
数年間集中して見ていた時期があったらしい。
本公演は、それ以前の1982年に天井桟敷で上演されたものらしい。
文芸座ル・ピリエという、今の新・文芸座が出来る前の
映画館などもある場所でのアトリエ公演として上演された。
本作の原作は「アンナン・アルトー」という
フランス人の劇詩人(チラシにそう書かれていたので)である。
彼は「残酷演劇」を提唱したらしい。
ベル・エポックの時代にエロ・グロ・ナンセンスやサドマゾ・幻想文学などが
登場し、そのアンダーグラウンド感あふれた猥雑で隠微な世界を愛する人が
ある一定の割合でいたのだろう!
それが外部に開かれるようになったのが20世紀になってからなのか?
教会のチカラが弱くなって
背徳的なことが容認されるようになっていったのか?
真っ暗な劇場でそんな世界を覗き見るのはある種の独特の感覚を与えてくれる。
ライブだからこそ伝わる表現を知っていて
寺山修司は演劇を中心に活動したのだろうか?
デジタル時代・ネット時代になって、またライブの良さが見直されている。
そして、35年以上前に上演された本作を見て
まったく古臭さを感じさせずむしろ新しい感じがした。
観客も往年の天助桟敷や万有引力のファンもいらっしゃってはいるが、
同時に若い人たちがこれを見に来ている。
こうした幻想文学的な世界にあこがれる人たちは
ゴスロリのファッションにも見られるように一定数存在する。
稲垣足穂や澁澤龍彦、以前に、谷崎潤一郎や江戸川乱歩、
横溝正史の描く世界にも近い感覚がある。
どろどろとした近親相姦の世界を描いた舞台だった。
チェンチ一族の呪われた家系が起こす骨格の強い物語構造に、
激しいまでの身体を酷使する演出。
完全暗転の中で音楽や効果音が大音量で流れ照明がそれにシンクロする。
これって実は、スーパー歌舞伎的でもあり2・5次元の舞台的でもある。
それ以上に極度に
俳優の身体に負荷をかけまくっているのがこの演劇の特徴。
M先輩は、80年代の時に経験した世界観をそのまま再現しているね!
とおっしゃっていた。
それが今、また新しい感覚となって若い人たちの一部を取り込んでいるのが興味深い。
そして、そこから新たな表現が生まれてくるとさらに面白い!
上演時間濃密な90分。14日まで。





htmx.process($el));"
hx-trigger="click"
hx-target="#hx-like-count-post-30538213"
hx-vals='{"url":"https:\/\/haruharuy.exblog.jp\/30538213\/","__csrf_value":"80cd79770b7e58f041433eac2e87a355c38ae844b2fab36767b65c4911c0938e7e7f7999439203946c357666fd48e46e4b2fc38afe0d95d330217be09a56b296"}'
role="button"
class="xbg-like-btn-icon">