作・演出:赤堀雅秋。
シアターコクーンで舞台を見ると言う行為は
東京でも一番贅沢な体験ではないだろうか?
劇場の中に入って幕が上がるとその贅沢さを実感する。チケット代は10000円!
だけあってそれに見合うだけの舞台を提供しないといけないという
劇場側のプレッシャーも相当なものだろう!
そして、そんな状況の中、赤堀さんはスズナリで公演をやり続けていた時代の
赤堀さんのまま舞台を創作している。
商業主義におもねないその矜持がこの舞台の質を担保してくれている。
それを寛大な心で見続け公演を続けているということに
コクーンの演劇のプロデューサーたちの度量の広さを感じる。
同時にその芸術性と高い料金でお客さんを集めることを両立させるための
キャスティングがきちんとできている。
本作を見て今回のキャスティングが素晴らしいと感じた方は多いのでは?
向井理と田中麗奈という二枚看板があり
平田満や秋山奈津子、銀粉蝶というベテランの味を活かし、
大倉孝二や福田転球、森優作などのキャスティングで笑いを取る。
俳優としても素晴らしい赤堀雅秋は今回は一言もセリフを語らない演技で
観客の注目を集める。
ある東北の海沿いの街、東日本大震災から8年後、復興は進まない。
海岸には海が見えなくなるほど背の高い防潮堤の工事が行われている。
街に山から離れ猿がやってきて農作物や漁港に水揚げされた海産物を持って行く!
今では人に危害を与えるようになって、街の自警団が結成され
猿退治と称して猟銃を担いで森の中などをパトロールしている。
いくつもの断章となるシーンが描かれ、観客はそれを組み立てていきストーリーを構築していく。
その中には多くの悲哀が描かれる。
悲哀の中から滲み出す笑いを描くのが赤堀さん!
その悲哀は誰にでもある。生きるとはそういうことだ。
その悲哀をそっと見つめて小さな声に耳を傾ける。
そのことを赤堀さんはさらに小さな声で私たちに語ろうとする。
大きな声や大きな音だけが世間に蔓延しそれが正義となり、
その正義は瞬間的なことでしかない!
なのに大きな声は小さな声をかき消してしまう。
そのさらに奥にある本当に地味だけど大切なことに目を向けている赤堀さんの視線がやさしい!
どうしようもない人間たちだからこそ愛おしい!
そう思えるために人がつながっていくことを赤堀さんは舞台芸術という方法で
しかもゴージャスなシアターコクーンで創作する。
平田満の独居老人、銀粉蝶の認知症になってしまった母親、
それを介護する娘の田中麗奈、その夫の向井理!
田中麗奈は子供が欲しいと思っている。そして、向井理は…。
これは、まるで小津安二郎の映画のような滋味溢れる物語のようである。
日常のささいなことからそれを描き出す。
豪華な五面もあるセットが生かされ、通路にあの俳優たちがやってくる。
しみじみとした2時間15分があっという間に終わる。
28日まで、その後、大阪。