作:野木萌葱、演出:小川絵梨子。
芸術監督の小川絵梨子が野木さんに書き下ろしを依頼し自ら演出した作品!
大きく手前にはみ出した舞台!
大きな石造りの門とその下手に岩山のようなものが作られている。
ろうそくの燭台が何カ所かに置かれ、門をくぐると上階に上がる階段があり、
二層構造になっている。
男性5人だけの舞台。
劇場に置かれている配役表を見ると
「1920年代。ローマ・ヴァチカン・パリ・北京。」
と書かれている。ああ、その時代の話なんだ!と思って舞台を見る。
ベル・エポックの後の狂乱の時代、パリには多くのアーティストが集まり時代が変わろうとしている。
米国は禁酒法でマフィアが幅を利かせるゴッドファーザーや
ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカの時代。
時代は違うがウンベルト・エーコーの描いた「薔薇の名前」のような世界観が描かれる。
イエズス会の司祭であり研究者であるピエール(神農直隆)。
彼は考古学者でもあり学問をしながら聖職者として暮らしている。
キリスト教徒は唯一絶対の神がおり、その神が私たち人間をそしてこの世界を作ったと言われている。
昔の聖職者たちがそれを物語形式にして文字で残し、
「聖書」という書物に遺した。
その教えを守り続け聖職者として生きている人たち。
彼らには「進化」という言葉はない。
ダーウィンはそれに抗うかのように「種の起源」を著した。1859年のことである。
「薔薇の名前」ではこうした危険な考えの書物を大きな図書館に隠し世間の目に触れないようにしていた。
ヴァチカン市国のローマ法王の主導する厳格なカソリックでは
この時代も「聖書」の考え以外のことを否定し続けている。
イエズス会のピエールは学問を究めていくことで、その矛盾に気づき葛藤する。
ヴァチカンから送られてきたレジナルド(近藤芳正)は彼らの危険な考えを改め、
それを公にしないようにという「覚書」を携え
それにピエールの署名をもらうためにやって来る。
彼らの考える人類の起源は「アダム」である。
しかし、研究者たちはネアンデルタール人が居て、ジャワ原人が居て、
そして私たちホモ・サピエンスに進化したと考えている。
ピエールは、「覚書」に署名せずイエズス会の計らいで、中国は北京に派遣されることになる。
彼は、そこでの発掘調査で北京原人と思える骨を発見する。
ジャワ原人とホモ・サピエンスの間をつなぐ人類の進化の過程の証拠である。
研究者と聖職者の間で葛藤するピエールの背中を押すのが
同じく研究者で聖職者のエミール(伊達暁)。
彼も同様の思想を持ち、研究者としての好奇心を究めていく。
ここでこの舞台の最大のテーマについて考える。
なぜ彼らは聖職者であり続けたのか?ということ。
野木萌葱は以前から科学者が研究するその先には
倫理観を乗り越えるほどの好奇心があり
その倫理感と好奇心の中で葛藤が生まれるということを何度も書かれている。
彼らも考古学者・生物学者として同様であるのだが、
本作でそれらの戯曲と大きく違うのは
彼らは信仰を決して捨てない!ということ。
遠藤周作の「沈黙」などの隠れキリシタンのように
何があっても信じ・祈ることをやめない彼ら。
実は今読んでいるダン・ブラウンの著書「オリジン」の中にこんな一説があった。
「科学と宗教は対立しているのではなく、同じ話を語ろうとするふたつの異なる言語なんだよ。
この世界に両社は共存しうる。」と。
まだこの舞台の本質は理解できていないが
これからも時間をかけて考えていかない問題であり、
本作は野木萌葱から提示された大きな問題提起である。
そして、それを小川絵梨子はシャープな研ぎすまされた演出で応えた。
休憩20分入れて上演時間2時間20分。28日まで。






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