1994年に平田オリザさんが作・演出で上演された「転校生」。
当時は本当の高校生たちに夏休みワークショップから始まって
本公演が青山円形劇場で行われたと聴いている。
その伝説的な作品が、本広克行監督の演出で再々演された。
実は本広監督は、2015年に舞台「転校生」の演出を行っている。
場所は六本木の劇場だった。
詳細はhttps://haruharuy.exblog.jp/24402849/
また2009年には、
飴屋法水さんが演出した「転校生」を東京芸術劇場で見た。
自殺サークルなどもテーマにしたそれには本当に驚かされた。
サウンドデザインと大人数の俳優たちが懸命に演じる姿が印象に残り
私の2009年に見た舞台のベストだった。
当時、ワンダーランドに書いた記事があった(以下)
https://www.wonderlands.jp/lookback/lb2009/3/
そして今回が3回目となる「転校生」
本広克行監督がわざわざオーディションで選んだ
21名のみずみずしい俳優たちが出演している。
こうした舞台を観ると「可愛い」という意味は何なのか?
という根源的なことを考えさせられる。
よくアイドルグループの女の子が
その集団に入るとこんなにたくさんかわいい子がいるんだと
グループに入ってから「ひるむ!」と言っているのを見ていて
「へえ!そんなもんかな」と思っていたのだが、
この「転校生」に居るような女の子たちが在籍しているようなクラスが
もしあったとしたら、
そのアイドルの言葉を実感するのだろうか?
でも、少し経つとそれが普通の事になって、
可愛い中にもいろんな可愛いがあるんだな、
その違いがやっぱりいいんだな!と思うようになるのかもしれない。
私も見ていてしばらくするとそんな感覚に襲われた。
ということは、先ほどの私なんかよりも可愛い子がいくらでもいるんです!
という発言はある種のリアルでもあるが、
そのことを気にしなくてええんやない!?
と思うのである。
比較することに意味はない!
その相対的に比較するという感覚からいじめや差別が生まれてくるのではないか?
区別は個性なのでいいんだが、差別化をすることで
それがヒエラルキーを生み、
そのカーストが最終的に「いじめ」という行動などにつながる。
本作を見ているとそんなもの意味ないですよ!と暗示してくれている。
もうすぐ、学校の夏休みが終わる。
2学期の初日は多くの子供たちが自らの命を奪う日でもある。
学校に行くのが嫌なら、苦痛なら
学校なんかいかなくていい!
でも、同時にこの舞台を見ていると学校の仲間がいることの
「愛おしさ」みたいなものも見えてくる。
孤独と孤独をつなぐ細い糸が君は見えますか?
その切なくも弱いつながりがここでは彼女たちを救っている。
その繊細な感覚を、藤谷理子は繊細な演技で本広克行監督の演出に応える。
彼女たちが日常で語る、何気ない会話を通して
世界のこと、多様性のこと、命のことなどが
平田オリザの戯曲らしく「ぐさああああ!」とココロの奥深くまで刺さってくる。
委員長役の羽瀬川なぎ、そして榊原有那、「転校生」の天野はな
などが印象的だった。
上演時間75分。27日まで。
ぜひ、高校生たちに、二学期が始まる前に見て欲しい!


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