脚本・演出:犬飼勝哉。この劇団、初見。
劇団名?がそのまま作・演出の名前になっているのか?
本谷有希子や根本宗子さんのような?
調べたら「わっしょいハウス」名義で2012年から自作の上演をされていたらしい。
出演者の方々が個性的でよかった。
いままで見たことがない方ばかりだった。
なのでここに出演者を記す。
浅井浩介、石渡愛、神谷圭介、西山真来、松竹史桜(まつたけみお)。
石渡さんは無隣館の三期生、松竹さんは「ほりぶん」などにも出ているらしい。
みんなナチュラルで肩の力が抜けた演技。淡々と物語が進んでいく。
その舞台の持つ独特な雰囲気に魅了された。
「ノーマル」とは「普通」という意味である。
良く、最近どう?と聞くと「普通」とやる気のない感じで応える!
というシーンを目にするが、実は「普通」に暮らせるということは
とても幸せなことなのではないだろうか?
日常を淡々と生き半径数メートルの中で暮らし、
その中で仲のいい人たちと生き続けること。
災害や事件が起きないそんな日々があるんだ!ということを
「普通!」と言ってしまうことで否定してしまってはいないか?
余談だが、「みんなやってるから」とか「みんなが言ってる」などという定型文があるが
その「みんな」とは一体誰やねん!?といつも思う。
みんなはみんな違うし、普通と感じることもみんな違うのかも知れない。
水道がひかれてない地域に暮らす人たちは
水瓶を担いで水くみをすることは「普通」なんだろう。
舞台に入って驚くのは天井から椅子やベンチがワイヤーで吊られ、
ぶら下がっていること。
それらがシーン毎に降りて来ていくつかの場面転換が行われる。
小さなカフェのシーン、石渡愛の住む部屋、さらにはネット動画の収録会場、
そして高台の断崖の上にある公園とベンチなどが登場する。
カフェでバイトを始めた松竹、彼女を紹介したのは
このカフェの常連で松竹の年の近い叔母である石渡、
カフェを切り盛りする夫の神谷と妻の西山、基本、それだけ。
そこに、未来からやってきたと思われる浅井浩介が登場する。
彼が松竹のところにやってくる。「バック・トー・ザ・フューチャー」的な展開が笑いを誘う。
脱力系の笑いが心地よい!その変な感じが「普通」=「ノーマル」を描きながら
にじみ出てくると言えばいいのだろうか?
ジム・ジャームッシュの映画や
アキ・カウリスマキの映画のような手触り感がある。
日本の映画監督で言えば荻上直子さんの描く世界のような。
浅井がネット番組の収録で田所という大学教員でメディアアーティストとして
出演するシーンがあるのだが、これどうみても「落合陽一」だろ!
と思えるエピソード満載で落合陽一ファンとして楽しかった。
テッパンのカレーネタも語られる。
「普通」の奥に潜むささいな変化が
彼らの「普通」の世界を微妙にゆがめていく、その世界の表現が新しい。
演劇界で稀有な才能では?今後の公演を見てみたいと思った。