作:綾門優季、演出・上演台本:橋本清(ブルーノプロデュース)
キュイの過去作品のレビューは以下、過去に3回見ていた。
https://haruharuy.exblog.jp/25377500/
https://haruharuy.exblog.jp/27214732/
https://haruharuy.exblog.jp/29706534/
作家の綾門さんは演出をしない。
今回の橋本さんの演出と上演台本の作り方を見て
新しい演劇の世界を作ろうとされている感覚が伝わって来る。
最初見ていて一見「岡田利規」の舞台かな?
と感じるところもあるのだが、やはりまったく違うものになっている。
今回はキャスト違いでAプログラムとBプログラムが上演されている。
私は時間などの都合でAプログラムを観劇。
キャスト3名、新田佑梨(青年団)・長沼航(散策者)・野村麻衣(悪い芝居)。
本作では最初に新田が登場して観客席に挨拶して舞台が始まる。
白いパーカーとスカート、オレンジのソックスにスタンスミスといういでたちで、
カジュアルで上品な衣装が印象に残る。
長沼も野村も衣装なども含めて魅力的なキャスティングだった。
そして、本作の戯曲に演出の指定として以下のようなことが書かれている。引用する。
この戯曲は、積極的にシーンの順番を並べ替えて上演することを原則とする。
2018年から2041年までの24年間、東京二十三区と武蔵野市で起こる
断片的な出来事を任意で抜き出していく。(中略)
なお、配役については、俳優1人につき一役をあてがって上演することは禁止とする。
とある。Aプログラムでは3人のキャストが場所と時間を変えて
同じ人の役を演じているのだろうか?
過去のキュイの舞台にもそんな公演があったことを、
これを書く準備をしているときにいろいろ調べていて思い出した。
2018年、東京都「練馬区」から2041年、東京都「武蔵野市」まで
東京の未来のことを綾門の想像で書いたシーンが
登場人物の一人語りを軸として進行していく。
最終的にはオリンピックを終え少子化を迎え人口が減少していき
そして自然災害が温暖化によりさらに拡がっていく。そんな未来が描かれる。
彼らはその現状に淡々と向き合い一人語りを通して観客に伝えていく。
見終わってこれって綾門版「天気の子」(新海誠監督の東宝配給のアニメ映画のアレです)
じゃないか?と思った。
上演台本が素晴らしいのか俳優の言葉がすーっと入ってくる
決してわかりやすいセリフではないのだが
純文学の小説か散文詩を読んでいるような言葉が使われており、
その高潔な言葉の感覚が好きな人は絶対に好きになるだろう。私は好きになった。
ある種の清潔感が全編に漂っている。しかしながら現実は週末感が漂う世界。
そのギャップが並行してある世界が近未来に本当に起きていくことなのではないか?
と感じつつ。東京の街で暮らすことの大変なところと素敵なところとを考える。
自分はこれからどうしようか?と思うきっかけを与えてくれる。
綾門は20代の劇作家。彼が2017年に書き下ろした戯曲である。
20代の若者たちはこれから平均80年近く生きていくことになるだろう。
2100年が見えて来て都市はどのように機能していくのか?
欲望が肥大化する都市に人間の尊厳は保たれるのか?
カントが人間の尊厳は貨幣には代えられないと言ったと
NHKの「欲望の経済学」の再放送で学者が語るのを見てなるほどなー!と思った。
それらの私たちが直面している様々な問題を
この舞台ではある種のイメージに置き換え提示してくれる。
東京を離れて活動している岡田利規さんはこの舞台をどう見るのか?
そして芸術家たちが東京ではない場所で活動することが増えていることを
どう考えればいいか?
そんなことも考えさせてくれた舞台だった。
上演時間約60分(Aプログラム)12月1日まで。