「セールスマンの死」神奈川芸術劇場プロデュース(@KAATホール)
作:アーサー・ミラー、翻訳:徐賀世子、演出:長塚圭史。
KAATの新たな芸術監督に就任する長塚圭史の仕事。
実は、本作は2018年にKAATで上演されたものの再演らしい。
3階のB席にて観劇。席数を半分に減らしての上演。
客数は全体の40%くらいだろうか?
1940年代後半あたりのブルックリンの一戸建てのお家が舞台となっている。
第二次大戦後の1940年代後半~1950年代の米国の暮らしは
昭和世代の私たちにとってあこがれのものだった。
素敵な妻と可愛い子供たち、GEなどの冷蔵庫に代表される大型家電に囲まれ、
庭にはゴールデンレトリバーが居る。
そんなイメージで私たちは50年代の米国を捉えていた。
TVドラマシリーズのシットコムの「奥様は魔女」などに
代表される世界がそこにあった。
しかし、アーサー・ミラーはその時代のある家族の暗部を
抉り出すように描いていく。
ちょうどテネシー・ウイリアムズが「ガラスの動物園」を書いたのも
ほぼ同時期ではないだろうか?
光があれば影があるのは当然。
当時のブロードウェイでこうした舞台が上演されていたこと自体が
米国の文化芸術に対する成熟度を感じる。
そして長塚圭史はこの作品を現在に接続しようとする。
いまの私たちに置き換えて見ても共感できる場面がたくさんある。
主人公の風間杜夫演じる60歳を過ぎた初老のセールスマン。
それまでバリバリと地方に出張していろんなものを売り歩いていた男。
老いを感じながらも何とか生きていかなければならない。
その重みに耐えながらも厳しい現実がセールスマンにのしかかる。
60を過ぎてようやくすべてのローンが終わり、これから夫婦水入らず、
で過ごそうという時期に、様々な問題が表出する。
妻の片平なぎさは包み込むような母性ですべてを受け容れようとする。
しかし、現実はそれを許さない。
並行して父親と息子との葛藤が描かれる。
父親が出来なかったことを息子にさせたい!というのはどの父親もそうなのか?
私の家でも父親が過度な期待をかけるのでいつも高校や大学生の次期に
衝突していたのを覚えている。
私の父親は、私が大学3年の秋に脳出血で突然死した。
その後は自らの責任ですべてのことをやっていけなければならなかったが
父親の過度な期待やくびきから解放されある種の清々しさがあったことを
正直に伝えたいと思う。
そんな私も来年、還暦を迎える。
この作品にもこれと同じようなことが描かれる。
家を継ぐものとしての長男のふるまい。
そして、人生はそう簡単にはうまくいかないと言う現実。
若い時の現実との葛藤、そして老いを感じ始めた時の自らと周囲の評価とのギャップとの葛藤。
また、家族内の葛藤が描かれる。
多くの観客が自分事として本作品を見ていたのではないだろうか?
そしてコロナ禍で「家族」や「世間」や「社会」の本質があぶりだされ、
本当に大切なものが見えて来ている。
そんな時代だからこそ、こうした作品を通して観客が何かを感じ考えるきっかけになって
欲しいという長塚圭史の無意識のメッセージが伝わって来る。
長塚演出の長時間の舞台を丁寧に演出してきちんと見せていくという
才能が発揮された素敵な再演となった。
上演時間休憩20分入れて、3時間20分。1月12日まで。


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