「逢いにいくの、雨だけど」iaku(@三鷹市芸術文化センター 星のホール)
2018年に三鷹市芸術文化センター星のホールで上演されたものの再演。当時の舞台に関しては
https://haruharuy.exblog.jp/30194856/
に記している。キャストも同じ。
本公演のチラシの中で作・演出の横山さんが
「2年ぶりの再演は、かなり深いところまで俳優が到達してくれた」
ということが書かれており、まさに同感。
ささやかな繊細な表現を自らの身体に取り込んで演じるとは
こういうことなんだということが伝わってくる。
それが作り物には見えずまるで空気がそこにあるかのように自然に。
舞台は初演当時の2018年とその27年前である1991年が交錯する。
(以下、チラシに書かれているのから少し踏み込んだネタバレあります)
小学校の時に通っていた「絵画学校」で同級だった
「きみちゃん」(金森君子):異儀田夏葉(KAKUTA)と
「じゅんちゃん」(大沢潤):尾形宜久(MONO)。
二人がお絵かき合宿に出かけた時に「きみちゃん」が持ってきた
お母さんの形見でもある「ガラスペン」を「じゅんちゃん」が見つけ、
取り合いっこをしている時に不可抗力で「じゅんちゃん」の目に
ガラスペンが刺さってしまい失明してしまった。
「じゅんちゃん」の母親(川村沙也)と「きみちゃん」の父親(近藤フク:ペンギンプルペイルパイルズ)は
大学時代の同級生であり、結婚後も住んでいるところが近いこともあって
良く会ってたわいもない話をしている。
「きみちゃん」の妻は若くして亡くなり、今は「きみちゃん」のお母さんの妹(橋爪未萌里)が
毎日やって来て家事全般などの世話をしている。
「じゅんちゃん」の父親(猪俣三四郎:ナイロン100℃)は自分の妻が
時々「きみちゃん」のお父さんに会うことを快く思っていない。
「じゅんちゃん」と「きみちゃん」は事件が起きたのち、
親同士でいろいろと話し合われたのだが、男女の感情問題なども絡んで、
結局「じゅんちゃん」の眼科の専門病院がある埼玉に引っ越すことになってしまう。
二人はその後、まったく逢えないままに27年が経過することとなる。
27年後「きみちゃん」は美大卒業後「焼肉屋」さんで長いことアルバイトを
しながら絵本を書き続け、ついにこの年に新人賞を受賞し「きみちゃん」の絵本が出版されることとなる。
そして、その絵本の出版がきっかけで「きみちゃん」と「じゅんちゃん」は…。
人を赦すとはどういうことなのか?そして罪の意識を持ち続けるとはどういうことなのか?
罪を償うことは出来るのか?贖罪などと言うことが現実に起こりえるのか?
というような様々な問題を投げかけてくれる。
もちろん、そのようなことを観客が感じ考えるということであり、
セリフの中にそんな説明的なメッセージなどはない!
芸術表現とはこうした何気ない日常を創作することから浮かび上がってくる
人間の持つ「気持ち」(=ココロ)の本質を抉り出し私たちに提示することが出来る。
本作はそのような「芸術体験」「演劇体験」を高いレベルで体感できる。
「ココロ」がシクシクして「うずく」ような感覚とでも言えばいいのだろうか?
見ていて知らない間に目頭が熱くなる。
観客席から俳優が淡々と演じている芝居を観ているだけで
こんな気持ちになれるんだ!と改めて思う。
「じゅんちゃん」は失明して傷を持ち暮らしている。
同時に「きみちゃん」も加害者としての罪を追いつつ「ココロの傷」を抱えたまま生きてきた。
その「傷」は「じゅんちゃん」や「きみちゃん」の周りに居る家族にも生まれる。
みんなはその「傷」を抱えながら生きている。
27年間そのことは常にみなのココロの中にあり続ける。
「芸術」とはそのような「ココロの傷」を癒してくれる効果があり、
その効用は計り知れない。
iakuの作・演出の横山拓也をはじめとするスタッフ・関係者、
そして、丁寧に演じ切った俳優たちに心から感謝の拍手を送りたい。
カーテンコールの拍手にそれが表れていました。
上演時間2時間と少し。4月25日まで。その後、大阪公演がある。


