「てげ最悪な男へ」小松台東(@三鷹市芸術文化センター星のホール)
作・演出:松本哲也。宮崎のある町の家の中が舞台の1幕劇。
前半と後半にわかれていて、間に10分の換気休憩が入る。
前半は2007年のお話。そして後半は現在2021年のお話。
江藤純恋という名の女の子(小園茉奈:ナイロン100℃)が主人公の舞台。
彼女の高校生だった頃の2007年。
そして14年後、彼女は30歳を過ぎ近くで働きながら同じ家に暮らしている。
前半と後半の両方に14年の歳月を超えて登場するのはこの女性と
彼女の父親の弟であるおじさんの河野文雄(瓜生和成)。
彼は宮崎でタクシー運転手をしている、という設定。
これ以上書くとネタバレになるので遠慮するが、
地方の町の持っている独特の閉塞感みたいなものが良く描かれている。
その閉塞感が現在コロナ禍で自由に外出したり会食したりできない現状とつながる。
息が詰まるというのだろうか?すべてのくびきを捨てて自由に駆け回りたい。
そんな気持ちがこの作品の奥底にあるのではないだろうか?
作・演出の松本哲也は、その気持ちを、逆にうつうつとした関係を描くことにより、
違った意味での魂の昇華を行おうとしたのではないか?
証拠に私自身がこのある種、うつうつとした(今回はこの言葉をいい意味で受け取って欲しいのだが)
芝居を観て劇場を出る時になぜか、さわやかな気持ちになるという経験をすることが出来た。
まるでたくさん泣いたあとのように。
見ている間中、数年前に見た映画の事を思い出した。
熊切和嘉監督の「私の男」という映画である。
桜庭一樹の原作小説を映画化したものなのだが、
この映画の最初の舞台が北海道の函館だった。
そこで養女(二階堂ふみ)と暮らす男(浅野忠信)の二人の世界を描いている。
この映画を見た時もこの舞台を見た時と同じような感情を抱いた。
静かに物語の中に沈潜していくなかである種の「浄化」が行われる。
この舞台では誰がどうなったか?という細かなことは語られない。
物語を追いながら俳優が発するわずかなセリフのヒントを組み合わせ
紡いでいきながら自分で、主人公の純恋(小園茉奈)の母親(荻野友里)はどうなったのか?
とか母親の元愛人だった?と思われる田辺和正(松本哲也)はその後何をしたのか?
などなどのことを推測しながら見ることとなる。それは最後まで明らかにはされない。
私は劇場を出てあれはこういうことだったのではないだろうか?
という空想の仮説を延々と繰り返し考えながら三鷹駅に向かうのだった。
いい意味で手離れが悪いこうした舞台のことを多くの人は決して忘れない。
私が映画「私の男」を見て数年経ってもその体験を忘れないように、
この舞台もある種、静かな衝撃を湛えて私の中にある種の
演劇体験の澱として長く残っていく作品になるのではないだろうか?
ラストの小園茉奈が瓜生に宛てた手紙の文章が印象的。
そこにはある種のアンビバレンツな感情が同居していて、微笑ましい気持ちになる。
休憩10分入れて上演時間2時間。5月30日まで。


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