さて、実際に90本見て、改めてアニメーショの技法は
多種多様であることを思い知らされた。
特に学生を中心とした新しい世代の作品群は、見た目が新しく
洒落ていたものが多いように感じた。
残念だったのは、コンペティション作品群以外の特集上映に関して、
もう少し工夫が欲しかったこと。
もう11回目だから、やり尽くした感覚はあるのかも知れない。
が、しかし、ここでアヌシーアニメーションフェスティバルと並ぶ
「HIROSHIMA」の底力が見たいものである。
そのためには、プログラムディレクターがきちんとセレクションし機能しなければならない。
実際の作品を、系統立てて学習するまたとない機会のプログラム上映が見たい。
その意味でも、今回、面白かったのは、
今回の審査員でもあるイギリスのアニメーション作家、
フィル・ムロイの特集が見られたのは良かった。
このブラックユーモアのセンスはまさにイギリス。
会話を中心とした圧倒的な台詞量なのだが、それが独特なオカシミを誘い出す。
直接、ムロイ氏から彼の作品のDVDを譲って頂きました。
フィル・ムロイ氏のセミナーも並行して行なわれていたので、
実際の作者の考え方を知るいい機会だった
。ただ、残念なのは段取りが悪かったこと。
通訳の方とムロイ氏のみで、司会の方がいないので議事進行があいまいになるのだ。
実行委員の方々はこれらのことをもう一度見直していけば
さらに良いフェスティバルになるのではないかと確信している。
このことは、このフェスティバル全体に言えることだった。
行政主導は構わないのだが、お金を払って見に来ている人たちにとっても
楽しいものであって欲しい。
セレモニーが主体になってしまっては全く楽しめない。
そこの運営の仕方を変えるだけで全く違ったものになるだろう。
いちいち上映が始まる前に、30秒ほどのオープニングタイトルを
何回も見せられたくはない。
また、特集の上映前に監督を紹介するのはいいのだが、
その権威に対して拍手をするためだけであれば全く意味がない。
それならば、コンペティションのように、
上映後に監督が出てきて挨拶をするようにすれば良く。
拍手の大きさが内容に対する批評にもなっていてとってもいいと思う。
その権威主義的なニオイさえなくなれば本当にいい映画祭なのになあ?と思う。
コンペティションの上映時間が毎日夕方18時位から始まる。
お勤めの方々が観るのにはいいのかも知れないが、
せっかく広島まで来て美味しいものを食べに行くのに。
21時半から夕食だともったいない。
公開審査はその時間帯でもいいが、せめてもう一度、
別のホールでコンペティション作品を上映してもらえると有難いのだが。