「ドライブイン カリフォルニア」大人計画(@本多劇場)
日本総合悲劇協会vol7.公演。作・演出:松尾スズキ。
初演は1996年の12月シアターサンモールにて上演されたらしい。
その再演が2004年4月の本多劇場。本公演は3度目の再演となる。
26年前に書かれた戯曲なのに物語で描かれている本質が
古さを感じさせないのは松尾スズキの作家としての先進の才能。
もちろんその時代のお話なので、スマホも携帯電話すらもない時代。
しかし描かれていることは、時代を象徴するようなものとは関係のない
人間同士の奥底にある「何か」。
その「何か」が普遍的なものであるだけに多くの人が
「何か」を感じて共感したり怖さを感じたりして感情が動かされるのではないか?
先日、ダチョウ俱楽部の上島竜兵さんが自死をされた。
少し前には神田沙也加が、そして俳優の三浦春馬や竹内結子が。
彼らはなぜ自死を選ばざるを得なかったのか?
そんなことを突きつけられる気持ちになる舞台。
悲劇を描きながらそれを奇妙な笑いに転化していくのは松尾スズキの真骨頂!
その物語構造には私たちの心の奥の何かをグサッと突き刺すものがある。
と、同時にその悲劇的な文脈の中からどこかセンチメンタルでリリカルな詩情を
同時に松尾さんは感じ取っているのではないか?
「博士の異常な愛情」というスタンリーキューブリック監督の傑作映画があるのだが、
そのラストシーンへのオマージュが描かれており、まさに当意を得る。
「また会いましょう」(原題:We'll Meet Again)という曲が流れる
映画のエンドシーンにも似た悲劇的な美しさを描くことで今を生きる人たちが光り輝く、
という逆説的な表現。
要するにめんどくさい人でもあるのだが。
しかしながら、1996年当時はかなりめんどくさい人であっただろう表現が
26年経ってある種の大衆性と普遍性を獲得していったのかも知れない。
そういう意味でも松尾さんは先進的な表現者でもあり、
孤高の表現者であったのかもしれない。
同時に、その彼を支え続けた劇団員の俳優たちの存在を抜きにしては大人計画は語れない。
彼らの芸達者な面白さを表現するために出演俳優それぞれが
行うソロパフォーマンスが随所に挿入される。
中でも今回印象に残ったのが皆川猿時演じる、漫画家さんの役が
自らが描いた「紙芝居」をみんなの前でやるところ。
あるバランスが崩れると確実に滑りそうになる表現を
ああいった高度な笑いに転化させていったのは皆川のキャラクターから出て来る
「何か」があったからこそだろう。
証拠にその「紙芝居」を見ている俳優たちが演技でなく笑っているのを見て、
観客もこれってアドリブなのかそうでないのか?という
妙なバランスの上に立つことになりその可笑しさが倍加するという体験が出来た。
本作を見ていると、このように、演劇という表現形式の持つ圧倒的な自由さを感じる。
その自由な表現を求めてのこの日も超満員の観客席だった。
時代がこの10年でようやく大人計画に追いついていったのかも知れない。
しかし、松尾さんはとどまらない。
シアターコクーンの芸術監督としてコロナ禍での勇気ある
「芸術は不要不急ではない!」という発言をされたり、
数年前からは新たに個人で東京成人演劇部などを立ち上げ
実験的な少人数での公演なども始められている。演目は「命、ギガ長ス」。
30年以上活動し続け時代が追い付いてくるとさらにその先を目指そうと思って
逃げるように進んで行くこと。
そして、若い俳優や作家たちが同時に活躍できる現場を作り続けられるのは
何故なのか?どこかに理由があるのか?
そのことを考え続けてみようと思わせてくれる舞台だった。
兄(阿部サダヲ)と妹(麻生久美子)との淡い関係がいい。
客演の河合優実がいい。NHKのドラマ「17歳の帝国」の演技も印象深かった。
そして地蔵中毒の東野良平のキャラの濃さに圧倒される。
上演時間2時間15分(休憩なし)6月26日まで。その後、大阪公演。


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