「ドキドキしていた」情熱のフラミンゴ10回公演(@こまばアゴラ劇場)
作・演出:島村和秀。見ていて、ああ、これは不条理劇なんやな!と。
サミュエル・ベケット?それとも別役実?でもこのダンスは何だろう?
タランティーノの映画にも似た、そして全体の脱力感がジム・ジャームッシュの映画にも似た。
しかし、それが物語として統一されてないないから、見ていてよくわからなくなる。
ある種の表層を描くことによって、その乾いた表現から何かを残そうとされているのだろうか?
それはベケットや別役実さんも同様の試行錯誤をして来たのかも知れない。
作・演出の島村さんを調べてみると、1988年、さいたま市出身。
多摩美術大学で演劇を学んだ。とある。ということは現在34歳ということなのか?
美大で学んだ方なのでアート系のことに関する多くの知識や経験が本作に活かされていることを
アフタートークで知ることが出来た。
この日のアフタートークは島村さんが作ったスライドをベースに、
どうやって本作の創作を行ったが講義形式で語られた。
そこにはまさに私が感じていた別役実さんの話が出て来て、
タランティーノの映画パルプフィクションなども登場した。
岩松了さんや、ハロルド・ピンターのノーマンズランドの演劇作品などにも言及されていた。
これらの島村さんが影響を受けたものがこの舞台上に表現されていただろうことはわかる。
なぜなら、私が本作を見ていてそれらの作家や作品群などを想起していたから。
アフタートークで別役実の「受付」という戯曲が素晴らしいとおっしゃっていた。
私も「別役実のコント教室」という著書を読んで、その中に挿入されていた
「受付」を読んでおおいに感心したことを思い出す。
会話がちぐはぐでかみ合わない。
不条理劇はある種、その不条理さが劇中の文脈から生まれてくるとものすごく効果的。
その際たる作家がケラリーノ・サンドロヴィッチさんではないだろうか?
では本作ではどうだったのか?
不条理を不条理のまま提示され、それらの事象がある文脈の流れの中から出て来るという
状況でないとみている観客は「????」と「?」がただ増えて行く。
それをそのまま突き放すのがこの舞台の最大の特徴なのかな?
それがこの舞台を考えるきっかけにつながるのかも知れない。
芸達者な青年団の俳優陣たち(根本江理、兵頭公美、木村巴秋)も出演している。
上演時間105分。7月31日まで。