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「山月記」小菅紘史×中川裕貴 豊岡演劇祭2024(@宝塚市武庫川河川敷大劇場前) 今年の豊岡演劇祭が始まった。コロナの真っただ中だった2020年に始まり5年目を迎えるらしい。 ご縁がかなって昨年は豊岡に見に行くことができた。 今年は宝塚でも公演があると書いてあったので行ってみた。 同じ兵庫県というご縁なのか? 小菅さんの一人芝居。原作は中島敦の「山月記」。 高校の国語の教科書に載っていた。 小菅さんも高校の教科書で読んだと冒頭にお話をされていた。 https://www.aozora.gr.jp/cards/000119/files/624_14544.html 車で中央環状線を宝塚方面へ。駐車場へ停めて夕方の宝塚へ! 武庫川の川幅が広く温泉もあり温泉街の風情と住宅街の風景が混在する。 そして驚いたのは宝塚はタワーマンションがかなり多いということ。 山を後ろに臨んだ郊外の街にこんなにタワマンがあるのか?と独特な印象を持った。 そしてトマムや新潟の六日町あたりのリゾート地にもそういう建物があるな?とも思った。 小林一三が阪急電車を開発しその町おこしのために宝塚歌劇団を創設し、 それが今も続いている。あの手塚治虫先生も宝塚少女歌劇を見て、 それがリボンの騎士につながったということをどこかで聞いたことがある。 宝塚大劇場から武庫川の橋を渡ると宝塚南口駅があることをこの日初めて実感した。 徒歩で行けるとても近い距離に駅がある。 地元密着の阪急電車の歴史とすごさを感じる。 その大劇場前の武庫川河川敷の河原が今回の会場。 しかも入場料は無料。演劇公演なのでマニアックな人たちが50名くらい来ての観劇かな? とイメージしていたのだが。宝塚駅から続々と観客がやって来て 河川敷の階段は観客で埋め尽くされた300人は来ていたのではないか? 武庫川の河畔を夕方から夜にかけて散歩する人がとても多いことが分かった。 観客は堤防に階段状に作られた場所に座って河原を見下ろす形になり 武庫川がその背景にあり川を挟むと大きなマンションやホテルが武庫川に 向かって建っていてその風景が壮観でもある。 武庫川の100メートルくらいの川幅があることでバランスを取っているという珍しい風景。 陽が落ちて夕闇が深くなる。 宝塚大劇場にともされた間接照明が美しい。 この地域はこうした施設があるだけに上品でしゃれた感じがする。 豊岡演劇祭のプロデューサーである松岡大貴さんが会場で私たちに説明や段取りの話をしてくれる。 設営場所にはPAの機材と中川さんが演奏されるチェロの機材とそれを電気的に増幅させるための機材、 さらには、照明機材が設置されている。堤防の上には音響と照明を調整するブースが設置されている。 舞台下手には運動会で設置されているようなテントが設置され楽屋のような感じになっている。 宝塚市のEV(電気自動車)が停まっていてそこから電気を供給するシステム。 またほかの場所にも非常用のバッテリーが設置されている。 照明もLEDが主流となって電気使用量が減ってきており、 ガソリンエンジンの発電機を回してというシステムがこれからますますなくなっていくのだろう。 直流電力の社会がこれから到来するのではないか? 観客が続々と駅からやってくるので松岡P判断で開始を5-10分遅らせるアナウンスが行われた。 そして開演。 小菅さんが地声で語る。山月記の概要を話してくれて、その後本編が始まる。 中島敦の書く漢文調の文体は漢文の素養がない私たちにとってとても難しい。 しかし、本作を見てずいぶんわかりやすい現代語に翻訳してくれていて理解しやすかった。 同時に中川さんのチェロの演奏が始まる。 といってもバッハのチェロ曲や弦楽四重奏の楽曲のイメージとは程遠い 現代音楽ともノイズミュージックとでも言うのだろうか?の世界がそこで奏でられる。 チェロが弦楽器以外の打楽器やパーカッションみたいに使われている。 大友良英のパフォーマンスを見に行った時の感覚を思います。 その時もギターってこうやって演奏してもいいんやと思ったのだが同様の感想を持った。 中島敦の山月記は隋の時代の中国の田舎を舞台にしている。まさに漢文の物語の世界。 中島敦がこれを書いたのが1941年のことらしい。 この年の12月に日米戦争が始まる。戦争へ向かう時代の中で中島敦の頭の中は隋の時代 の中国に染まっていたのではないか?独特のわびしさや孤独を感じるお話。 官僚をしていた優秀な李徴(りちょう)という詩人になりたかった男。 自らが官僚を辞め山奥へ詩人になるために隠遁するのだが その後自らが虎となってしまう。 李朝(虎になった男)の虚栄心や自尊心みたいなものは意味のないものだったのでは? と反省していくというようなお話。 独特な厭世的な世界が描かれている。 「山月記」は日本の国語の教科書で最も多く長年取り上げられていたそうである。 過去の自分を反省するというような道徳観が文部省や教育委員会の方々に 教育的効果があるものとして評価されていたからと書かれていたのを読んだ。 でもこれを見ると本当にそうなのかな?と思う自分がいた。 教育的効果で虎になった自分を憐れんでいるのだろうか? 孤独に生きていくことを中島敦は一つの生き方として提示していたのではないか? 方丈記にも似たその孤独の中にこもって自分を見つめること、を描きたかったのではないか? それこそが芸術家であり芸術の高みを目指すものは虎のようになってしまうのではないか? と思うのだがみなさんはいかがでしょうか?評価はあとからついて来るものもたくさんある。 エンディングの武庫川へ向かってゆっくりと立ち去っていくシーンは印象的。 そして出演の小菅さんも演奏の中川さんも一人で芸術に向き合い続けている姿は まさに孤高の虎の姿なのではないでしょうか? 決して道徳的な物語ではない! その価値観事態がもう崩壊していることを私たちは既定の事実として知っている。 そんなことを考えさせてくれた孤高の舞台だった。 本公演は9月8日には豊岡の木の殿堂芝生広場での上演がある。https://www.kinodendo.jp/about/facilities/ そして、今年も9月末まで豊岡演劇祭は続きます。 https://toyooka-theaterfestival.jp/
by haruharuyama
| 2024-09-08 08:56
| 舞台
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