秋葉原のすぐ近くに万世橋というのがある。
ここに以前、交通博物館があった。
万世橋駅だったところを改造して作ったもの。
本作の冒頭シーンはこの駅から始まる。
ものすごいよこなぐりの雨が降っている。
軍服のような制服に身を固めた駅員たちが、
雨で電車が遅れているとアナウンスする。
サイレント映画なので語りと音楽だけで構成される。
効果音のない大雨の映像はまた、独特な感覚である。
待合室に病んで疲れ果てた、山田五十鈴の姿がある。
山田はこの撮影当時17歳だったそうな。
全然そんな風に見えない。
遠方に雨に煙る神田明神が見える。
そういえば、神田明神の坂を下ると、万世橋だなあと思い出しつつ、
今は、高いビルに遮られて見えないなあとも思った。
本作も、「瀧の白糸」「残菊物語」につらなる、
女の人が男に対して応援する物語。
「瀧の白糸」は法律家、「残菊物語」は歌舞伎役者、
そして本作は医者になるまで女が応援していく。
女性の男に対する無償の愛が描かれる作品が多いのは、
溝口本人が姉からの援助で大学まで出してもらったことと
無関係な筈はないだろう。
溝口の姉は、芸者をしながら彼に対する援助をしていたらしい。
また、溝口は女性関係がこじれ
カミソリで切りつけられたことがあるらしい。1925年のことである。
本作で溝口は数々の実験的なことをしている。
手持ちカメラの多用、パンなどのカメラ移動が随所に挿入され、
不安定なそしてスピーディな画面作りになっている。
そしてカミソリを際立たせるための
カミソリにライトをあてたライティング。
フィルターでカミソリがにじむのがさらに効果的である。
また、ダブルエックスポジャーなども使用されている。
オプチカル処理のひとつではあるが、
気がふれたお千が見る幻覚で半透明の宗吉があらわれる。
当時の撮影でよくポジションをあわせられたものだと感心した。
ドイツ表現主義的映画の影響などはもちろんあるに違いないが、
もっとも効果的なのはエッジがぼけていてあいまいな中にある
幻灯機とでも呼ぶべき映画的表現だからこそである。
ハイビジョン撮影ではこうはいかない。