東京ボードヴィルショーと三谷幸喜の付き合いは、
かれこれ15年は経つだろうか?
僕が、演劇を観続けてこられたのも三谷作品に負うところが大きい。
以前は、彼の作品を見るのに、毎回劇場に足を運んだ。
解散直前の「東京サンシャインボーイズ」はまったくチケットが取れず、
当日券でさえ並んでも見られない状態が続いた。
平行してやっていたPARCO劇場での公演も徐々に取れなくなってきた。
今回は、Fさんにチケットを取って頂き見に行くことが出来た。
ありがとうございました。
タイトルの文字通り「エキストラ」の話。
今回は、テレビドラマのエキストラである。
しかも朝の連続ドラマというような設定。
三谷さん自身が体験してきた、テレビや映画やコマーシャルの世界が
ここに再現されているのだろう。
彼はこういった業界ものもオハコのひとつかも知れない。
「ラジオの時間」や「笑いの大学」など。
まるで、自分自身の投影のように。
撮影現場に、二つのエキストラ事務所のエキストラたちがいる。
この道でずーっとやってきたエキストラの方々と、
定年退職をした後、エキストラをやってみたいと思って来た年配の方々。
退屈な日常から少し逃れたくてやってきた主婦。
今の自分がよくわからない決して若くはない青年などなど。
彼らの人間模様が交錯する。そういった群像劇でもある。
三谷は「新撰組」などを初めとして、「有頂天ホテル」など、
群像劇を描くのは上手い。しかも必ずお笑いが入る。
どうしても書かずにはいられない宿命みたいなものなのか?
あの「新撰組」でさえそうだった。
特に、本人が出演しているところなどは、お笑い以外の何ものでもなく、
ストーリーを丁寧に追うなんていうことは絶対に出来ない。
三谷幸喜の初期のドラマ作品で「振り返れば奴がいる」という傑作がある。
これは男同士の葛藤の物語。対決の構図が鮮明になる。
今回の舞台でも三谷はこの対決の構図を上手く取り入れ、
舞台に緊張感を保ち続ける。
僕自身、撮影の仕事をしており、エキストラの方々に頻繁に登場してもらうので、
この舞台で語られることが、いちいち身につまされる。ひとごとではない。
エキストラが、人間扱いされないというのは実際に近い感覚は確かにある。
数百人のエキストラを扱うときなどは、まさにそうだ。
いちいち全員の名前は覚えられない。
ただ、今回のエキストラの方々の半分はプロフェッショナルのエキストラであり、
実は彼らは大部屋の役者のような方々であり、
撮影所制度が崩壊したので、そこの受け入れ先が亡くなったということの代替の役割を
担っているのかも知れない。
そういったプロフェッショナルと、
定年して何となく始めたアマチュアリズムのエキストラとの対比が描かれている。
それはADや監督、プロデューサーとエキストラたちとの対比にも現れてくる。
三谷はアメリカ映画のエキストラの凄さを、語る。
例えば「タイタニック」のエキストラ。彼らの演技はエキストラといえども
人を感動させるくらいのチカラがあると言う。あたりまえだ。彼らは、役者なんだから。
入って数ヶ月のアルバイト感覚でやってきた人たちとはわけが違うのである。
そういった意味では、プロフェッショナリズムと似非ヒューマニズムの闘いでもあった。
ただ、それは実際の現場の話であって、
一緒に見に行ったカミサンなどに聞くと、
やはりヒューマニズムを謳歌する新人エキストラたちに感情移入されるようだ。
今回は佐藤B作ではなくて三谷さん自身の演出。
笑いやギャグのテイストは古臭くないのだが、
それと佐藤B作さんの演技のギャップもまた対決の構図であった。
そう、対立から新しい価値は生み出される。