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◎2006年の極私的ベスト に対する、各々のコメントです。 (長文です) 極私的ベストのリストは ◎2006年の極私的ベストリスト でご覧になれます。 ●書籍総評 今年の新刊ではないのだが、印象に残ったものがあった。 宮本常一という民俗学者と渋沢敬一の孫、渋沢敬三との出会いと交流、 彼らの生涯を描いた佐野眞一の「旅する巨人」。 たまたま、大阪在住のディレクターYさんから強力なプッシュがあって読み始めたもの。 個人の強力な推薦は、それが当人の的を得ていると 本当に新しい経験が出来るという素敵な例だった。 「ウェブ進化論」は、今後のネット社会の未来を楽観的に論じており、 そのことが僕たちに勇気を与えてくれるということだけでも貴重な本であった。 誰でも、表現者になれる時代だからこそ、 本当の意味でのコンテンツをきちんと作れる人が求められてくるのだろう。 既得権益にあぐらをかいているメディアの人たちにとっては脅威である。 ここから、短期的で商業主義的なコンテンツだけでないものが、 わずかながらでも出てくると嬉しい。 「強い風が吹いている」は走ることを題材にした小説。 読み始めたら止まらなくなった。 同じアパートに住む住人たちが箱根駅伝に出場する話。 6年かけて1200枚を書き上げた三浦しおんに脱帽。 6年間書き続けるということが、一体どんなことか 身をもって知る人がどれくらいいるだろうか? 「失踪日記」は昨年、様々な賞を受賞した吾妻ひでおの漫画。 今年の末になってようやく読むことができた。(先月、カミサンが買って来た。) その中でも「夜を歩く」は秀逸! アルコール依存症と躁鬱病になることは、誰にでもありえることだなあと実感。 他人事じゃない。本書はある種、身につまされることがたくさん出てくる。 吾妻ひでおの中島らも氏に対するコメントが同士に向けてのエールみたいで、 しみじみとしてしまった。 その中島らも氏も、酔っ払ったあげく階段からころげ堕ちて亡くなった。 そのエピソードがマンガに記されている。 これも、書くのに10年かかったらしい。 「ご臨終メディア」は現在もっとも反メディア的な二人の対談集。 現行のメディアの問題点がどんどんと提示される。 メディアリテラシー教育が重要と言われている昨今、 こんな本で、学習するというのもある種の方法ではないでしょうか? WEB2.0と言われている昨今のメディア状況の変化と 新しいメディア社会に対して発生する問題と、 それを上回るだろう未来への希望を描いた本が、 本当に百花繚乱のごとく出版されている。 出版とWEBはその間で共存し、 よりよいコンテンツが生まれてくる可能性が高くなったということである。 マスという概念がだんだんと縮小し、 「ロングテール」と呼ばれる部分に代表される コアなコンテンツや少数が理解できるコンテンツみたいなものが、 見捨てられなくなる。 それらの情報を、いつでもどこでも簡単に読むことが出来るようになると、 そのコンテンツや作者の価値を評価されることにもなるだろう。 そして、そのコンテンツが出版される。 そのような予感を感じるようになった2006年でした。 ●映画総論 東京近辺に住んでいるといろんな映画館などで特集上映が行われており、 毎日、何がしらかの上映が行われている。有難い環境である。 以前と比べてマニアックな映画も頻繁に上映され、 見る機会が増えてきたということは嬉しい。 結局、そういった類の映画はDVDを手に入れようと思っても困難である。 ましてやインターネット配信はずいぶんと先の話になるだろう。 ただし、ネット配信が主流になってくれば、 ロングテール部分にあたるマイナーだったりマニアックだったりする 映画が配信される日も、そう遠くない未来にやってくるのかも知れない。 それでも、映画は映画館で多くの観客たちとともに見るのが 一番だと思っているのだが。 「溝口健二再発見」という没後50周年の特集上映は、 昨年の国立フィルムセンターでの「成瀬巳喜男」 一昨年の「小津安二郎」とともに貴重な特集上映だった。 スケジュールの都合で全て観ることは出来なかったが、 ほぼ毎上映のたびに観客で埋まることが凄いと感じた。 特に年配の方々が多く、 それらの方々は1時間以上も前から劇場ロビーで開場を待ち続けている。 お弁当やお茶を持参して。 まるで、フィルムセンターにピクニックに来ているようだ。 僕がもし、60歳、70歳まで生きていたならば、 このような人たちのようになっていくのかもしれないと思いながら、 モノクロ画面の溝口健二を見続けた。 印象に残ったものとして、「山椒大夫」「マリアのお雪」「残菊物語」 「噂の女」「瀧の白糸」「祇園の姉妹」「近松物語」「雨月物語」 「歌麿をめぐる五人の女」「赤線地帯」などなど。 溝口の捉える目線は冷徹であり徹底的なリアリズムに満ちている。 それは美術や衣裳、そしてストーリーも含めて。 溝口健二はハッピーエンドを望んではいない。 現実とはこうなんだよということを観客に突きつける。 撮影所システムで映画を撮りながらギリギリのところで 「自分の矜持」を守り続けてきた姿勢に敬意を感じ、 また同時にそのことを覚悟する「孤独」を感じざるをえなかった。 「BOW30映画祭」はフランス映画社の30周年を記念しての上映。 自分の意思と自分のおこずかいで映画を見に行くようになって 20数年が経つ。 その若かりし頃に感銘を受けた映画の多くがフランス映画社の配給だった。 BOWはベストオブザワールドの頭文字。 大学時代に名画座で見た名作が、 改めてまとめて見られることの幸福を感じざるを得ない。 今回印象に残ったものとしては、 ゴダールの「はなればなれに」、タルコフスキーの「サクリファイス」。 今回は、テオ・アンゲロプロスの作品を観られなかったのが、残念だった。 東京在住のディレクターYさんに薦めて頂いた ミヒャエル・ハネケ監督の映画も衝撃的だった。 この「セブンス・コンチネント」は 家族がユートピアである7番目の大陸に行くために、 一家心中をするというもの。 これは、オーストリアで実際起こった事実に基づいて作られた映画らしい。 それ以外に「隠された記憶」「71フラグメンツ」を見る。 どれも淡々としていながら最後に衝撃が走る映画! こういった映画こそが、本当に怖ろしい。 今年ついに見ることが出来た「ゴダールの映画史・全8章」。 アテネフランセ文化センターで一挙上映が行われた。 「BOW30映画祭」でも「映画史。特別篇・選ばれた瞬間」を見たのだが、 これを見ただけでは何のことだかわからなかった。 その後での「映画史・全8章」は、 少しずつ子どもが運動能力や言語を獲得していくような過程で、 徐々に、努力しつつ理解しつつという途中、というのが正直な感想。 アテネフランセでこの映画のテキストを購入。 このテキストを読んで初めて理解できるところがたくさんあった。 これを再販してくれたアテネフランセに感謝。 知的好奇心をくすぐられる映画である。 そして、これはゴダールの映画に対する哲学書である。 今年、映画監督・黒木和雄が亡くなった。 彼の遺作「紙屋悦子の青春」を岩波ホールで見た。 木村威夫の美術に感動しつつ、紙屋家の家族をリアリティをもって 完成させた黒木の演出の力量に感服。 晩年、戦争のことについて映画を通して描き続けた 黒木和雄は邦画界のひとつの奇跡なのかも知れない。 「ゆれる」はラストシーン、法廷シーン、真木よう子の部屋のシーン、 そして河原のシーン、などなど忘れられないシーンが たくさん思い出されてくる。ココロが剥き出しになりヒリヒリする。 脚本&監督の西川美和の才能を感じる。しかも、若い。かわいい。 「かもめ食堂」はそれとは全く対照的。 雰囲気を伝えることによって何かを作り出す映画。 非常に気持ちのいい映画に仕上がっている。 ほんわかと幸せな気分になる映画。 ココロがあたたかいものに包まれホカホカする。 いま、このような気分が望まれていることは確か? この二作品を多くの女性たちが見て評価していることに興味をもった。 「嫌われ松子の一生」はそれを作るエネルギーに感服、 通常の日本映画では考えられないようなトーン&マナー&カット数、 そしてCGや合成の多用、ミュージカルシーンもきちんと作られており、 上質のエンターテイメントのオブラートにくるみつつ、 奥深い人生のこと、家族のことを描くことが出来る監督は なかなかいないのではないだろうか? 主演の中谷美紀と中島哲也監督の確執の日々を描いた、 中谷美紀の「嫌われ松子の1年」(@ぴあ)も壮絶なエッセイだった。 しかも、笑える。 ウッディ・アレンは、敬愛する映画監督の一人。 その彼が作った最新作が「マッチ・ポイント」。 ウッディ・アレンの描く私小説的ではない映画の傑作となった。 とにかく、映画を見ている間、その世界に入り込んで抜けられなくなる。 スカーレット・ヨハンソンの色っぽさがそれに輪をかける。 さらに、これはフィルムノワールか? と一瞬錯覚させるようなテイストがここにはある。 そして衝撃的なラストシーン。運命の悲哀を感じる。 「好きだ、」は石川寛監督がイノチを削ったような作品。 とにかく微細な構図や光、演技、顔の向きに至るまで秀逸、 宮崎あおいと永作博美のファンとしても嬉しい映画だった。 もしかして、石川寛は邦画界の、吾妻ひでおか?というと怒られるだろうか? 番外として、念願だった「広島国際アニメーションフェスティバル」へ初めて行った。 ここで数日間アニメーションを見続けた。 夜は、お好み焼きや和食屋さんで広島の食を堪能する。 広島は美味くて、面白い!また、原爆ドームと平和記念館では戦争の、 原子爆弾の恐ろしさを強く感じた。 広島市長は核実験が行なわれる度に、 その国に抗議文を送り続けている。 その手紙が平和記念館の柱に延々と張り出されている。 歴代の広島市長たちの意地を感じた。 マシュー・バーニーというアーティストの作ったアートフィルム 「クレマスター1~5」の一挙上映が行われた。 前売りが完売となっており、当日、開場だったアミューズCQNは満席。 彼が、ミュージシャン、ビョークの彼氏ということもあり 若い人でいっぱいだった。 彼の描く独特の世界観を8時間かけて堪能した。 今年の、アレクサンドル・ソクーロフ監督の「太陽」の公開は画期的だった。 当初、三原橋の銀座シネパトスでしか上映をしていなかった。 公開当初は連日の満員御礼。 昭和天皇の終戦の日を丁寧に描いたものなどいままでになかった。 その後、さらに満員御礼が続き、映画館の前には長蛇の列が! そうやって、公開映画館が徐々に増えていった。 イッセー尾形の奇妙な演技が印象に残った。 ●ドキュメンタリー総評 今年も、面白いドキュメンタリーフィルムや番組を何本も見ることができた。 「ヨコハマメリー」は文化庁芸術祭を初めとして いろいろな賞を受賞することとなった。 それによってアンコール上映などが行われる。 そうしてこのような映画を見てくれる人が増えることは嬉しい。 極力説明を排除した造りが潔い。 そこから観客たちは自ら感じ取って、感動をする。 横浜の街角で客をとりつづけた年老いた娼婦の話である。 「蟻の兵隊」も老人の話。 彼は日中戦争へ行って、終戦後も国民党軍と戦った。 日本国はその事実を隠蔽し、否認しようとする。 その事実を探って、老人が旅を続けるという映画。 運命の非情さを感じる。 「『きょうのできごと』というできごと」はDVDで見た。 行定勲監督の「きょうのできごと」という映画があるのだが、 その映画制作を丹念に追った、ドキュメンタリー。 2時間以上という大作。 これを見ていると映画制作の大変さと スタッフの熱情と楽しさが伝わってくる。 映画の世界は、恐ろしくも楽しい、 まるで魔界の入り口のようでもある。 「ザ・コーポレーション」は米国での大企業に巣食った 問題を暴露しながら現代社会を切り取っていくというもの。 米国のドキュメンタリーに特徴的なのは、 ドキュメンタリー自体の造りがある種のエンターテイメントになっているということだ。 それは、マイケルムーアの数々の作品にしても、 企業破綻を追ったドキュメンタリー「エンロン」にしても同じ。 いろんな要素を入れながら スピーディに展開していくことはある種の爽快感が漂う。 TV番組のドキュメンタリーでも面白いものがたくさんあった。 NHKとBBCが共同制作している「プラネットアース」は素晴らしい。 人類の資産という意味でも作った価値がある。 現在の技術の粋とスタッフの粘りの結晶がここにあらわれている。 ETV特集にも、ココロに残るいい番組がたくさん見られた。 「黒木和雄」の回では、撮影の初日は、演技と台詞がうまく決まらないので 結局フィルムを回さなかったという「紙屋悦子の青春」でのエピソードなど、 興味深い場面がいくつも見られた。 「杉並区立・和田中学校の民間人校長、藤原和博」の特集では、 教育界の現場と藤原校長の考え、そして教育の現状と、 今後、藤原校長が行おうとしている事を興味深く拝見した。 この番組について現職の教員などとも対話したのだが、 現状と理想の差みたいなものがあることを知り。教育の難しさを感じた。 しかし、今後、教育というものの持つ、意味はますます重要になるし、 学校だけではなく、会社や地域社会も含めて 「教育」という取り組みをしなければならないと感じた。 先日、放送された 第162回 12月23日(土)放送 「僕たちだって働きたい ~ニート脱出への挑戦~」 も衝撃的なドキュメンタリーだった。 中島みゆきの「ファイト」を別のアーティストが歌っているBGMに、 ニートである彼らが頑張っている姿が映し出され、涙がこぼれた。 誰だって、働きたい。 第139回 6月3日(土) 放送 「もういちどつくりたい ~ テレビドキュメンタリスト木村栄文の世界 ~」 は、ある九州のドキュメンタリー作家が難病に侵されながら、 もういちど自分の出来る範囲でドキュメントを作っていこうとする。 それは若くして亡くなった、我が娘の追悼のドキュメンタリー。 娘はダウン症だった。 来年は、また山形で国際ドキュメンタリーフェスティバルがある。 本当に楽しみです。 山形で昨年上映された「ダーウィンの悪夢」の上映が シネマライズで始まった。 ●舞台総評 今年は「噂の男」にやられた!こんなに凄い舞台を見てしまうと参る。 参りました。KERAはやはりただものではない。 福島三郎が書いた人情喜劇を解体して、 お笑いの本質とお笑い芸人の非情さ厳しさ、 露悪的な人間がやり取りする剥き出しの感情がぶつかりあう舞台に仕上げた! 中でも、橋本じゅんの演技が秀逸だった。 彼のとぼけた関西弁の喋りに対する感覚にはびっくり! 今年は舞台というくくりでいいのかどうかわからないが、 「三浦一派」のお誘いもあって落語を見に行くようになった。 そして、志の輔の落語の凄さにビックリ! 上手い、面白い、感動する、の三拍子揃った落語を聴くと、 下手な舞台芸術などぶっ飛んでしまう。 枕から本編というのか本題に入るまで全部、面白い! この歳になるまで、こんな面白さを知らなかった、なあんて本当に残念! これからは、きちんとフォロー出きるようにしたいなあと思うのだが、 いかんせんチケットを獲得するだけでも大変。 こつこつと時間を作って、 志の輔、志らく、談春、喬太郎、などを見に行きたいものだ。 大阪の天満に「繁盛亭」という寄席の常設小屋が出来た。 上方で初めての常設小屋。 来年は行ってみようと思う。 落語好きの方に聴いたところ、これだけレベルの高い落語が聴けるようになったのは 最近のことらしい。噺家が成熟してきたらしい。 だから、落語ブームと言われるのかも知れない。 観客は、そういうところを、ちゃんと見ている。 今年、落語の連続公演「談春七夜」が上演された、 池袋芸術劇場での「阪神・淡路大震災」の舞台にもやられた。 有名な役者さんなど一人も出ていない、 しかも関西出身者がほとんどのスタッフ&キャストの公演。 大音響とともに、舞台全体が、あの1月17日からの数日間にスリップする。 そのリアリティと人間の倫理観との相克が感動をそそる。 この公演は、企画があれば出前公演をしてくれるらしい。 公共的な役割を演劇が担うことが出来る舞台でもある。 被災者の方々と行政との対話に涙が止まらなかった。 行政側で働いている彼らも同じ被災者なのだ。 「My legendary girlfriend」は、まさしく露悪的な舞台。 こういった馳星周の小説にも似た悪漢舞台があるのかとびっくりした。 その作りこみ方が非情に衝撃的。 腎臓の臓器提供はフィリピンで行い、その手配は華僑である中国人が行う。 そこに警察権力がからみ、エリート女性官僚は変態のレズビアンである というような衝撃的な事実が、次々と暴露される。 王子小劇場はこういった意欲的な舞台をやる劇団に積極的である。 作・演出の名執健太郎はいったいどんな男なのか? 「ソウル市民三部作」一挙上演は青年団としての快挙である。 ほぼ、全ての劇団員が出演し、その公演自体が深い余韻を残す。 歴史認識がそれに輪をかける。 戦前の日本の植民地化政策についていろいろと考えさせられる。 「ソウル市民1919」でひらたよーこが歌う劇中歌の アイルランド民謡「霧の滴」がココロに響く。 チェルフィッチュも今年は、意欲的だった。 3月にお話の舞台となるライブハウス 「六本木SUPER DELUXE」で公演を行ったのが「三月の五日間」。 ホンが、むちゃむちゃ面白い。反戦デモがそこに重なる。 新国立劇場で上演された、 同じくチェルフィッチュの「エンジョイ」では ニートの雇用問題について若者の話し言葉とチェルフィッチュの方法論で語られた。 岡田利規の次回作は? ポツドールの今年の公演は、番外公演を入れて三回。 ポツドールらしさの「暴力とセックス」の衝撃に「救い」が加わって これからさらにお客さんが増えそうな勢いだ! 今後、彼らはどの方向に進んでいくのか? 来年の本多劇場での「激情」再演が楽しみ。 三谷幸喜は、「12人の優しい日本人」(@シアタードラマシティ) 「エキストラ」(@紀伊国屋サザンシアター)と見たが、 やはりこの「戸惑いの日曜日」には、笑った。 再演でどれくらい変わっているのかわからないが、 佐藤B作の演出のクサイところが、 逆にこの舞台を面白くしているところがあるのかなあと思ったりもした。 本谷有希子の創作活動は眼をみはるものがある。 「無理矢理」(@吉祥寺シアター)もかなりいい出来だった。 しかも、文芸誌に小説も書いている。そして、若い。 西川美和か、本谷有希子か? そんな才能を体験できた舞台だった。 彼女は発言する。 「舞台だけで演じる女優としてだけだと、可愛いとか言われたりするんですけど、 女優さんと比べたら全然・・・。」と。 ものすごく客観的に物事を見ている姿勢にびっくり。 さて、今年特筆すべき公演のひとつとして、 満員御礼座の「それは、秘密です。」を挙げたい。 ここの劇団はサラリーマンを中心とした関西の人たちが、 時間を見つけながらやっている。 公演を続けること自体大変だと思うのだが、それが十数年も続いている。 僕が、この劇団を見始めて数年経つが、今回の公演はココロに残った。 6話のオムニバス形式なので、出来不出来はあるのだが、 この中で「メールフレンド」「続メールフレンド」とされる1話と最終話がとっても良かった。 最終話には、初客演の高瀬和彦(@#ババロア)と淀川フーヨーハイが共演。 まさに夢の競演となった。大阪まで見に行って良かった! 5話でのライス大の涸れ切った演技も印象的だった。 終演後の饗宴は「お好み焼き」。 同じく、以前、サラリーマン新劇と自ら名乗っていた、 ラッパ屋の公演「あしたのニュース」もいい舞台だった。 地方新聞の記者と豆腐屋を描いた人情喜劇の中に、 プライドとか仕事観とかが見え隠れする。 鈴木聡の脚本は本当に面白い。 「ハゲレット」でも、うじうじしたハムレットを原作を崩すことなく 上手く描いていた。 そして、もう「ラッパ屋」はサラリーマンの集まりではない。 阿佐ヶ谷スパイダース公演の再演、 「イヌの日」も面白い舞台だった。 特に、八嶋智人たちの演ずる、子どもたち役の演技が秀逸だった。 美保純が母親役で登場し、悲劇と運命をさらに倍加した。 最近、以前と比べて露悪的な舞台がたくさん上演されるようになった気がする。 時代の気分なのか?明日に向かって、希望をもって行きましょう! などという舞台よりも、リアルな現実と悪意を描いた舞台を、 若者たちが好んで見に行っているという印象は拭えない。 「大人計画」や「ナイロン100℃」以上に、 「酷いなあ!」と思わせられるような嫌―な気分になるような演劇が 普通に行われるようになったことは、一体どういうことなんだろう? しかし、それらの露悪的な舞台を見ることによって 得られるものがあるということは確かなことなのである。 ●美術総論 最近、新聞集金の方が時々、美術展のチケットをくれるので有難い。 美術展は時間を気にしなくていいのが嬉しいのだが、 最近の美術展は混雑との闘いである。 雨の平日の午前中などに行って静かに見られるといいのだが、 なかなかそうはいかない。 畢竟、朝一か閉館間近に行ってみるが、 展覧会によってはいつも混雑している。 今年、秀逸だったのは「藤田嗣治展」。 彼の作品をまとめて年代順に見ていくと、 彼の人生そのものを追体験しているような気分になる。 また、「伊藤若冲」の日本画も凄かった。 皇居の中にある、「三の丸尚蔵館」にも展示するところがあることを、 若冲のおかげで初めて知った。 そして、彼の構成力と色使いは 現代日本の現代美術にも通じる何かがあると感じた。 最後に、「おそろい・ミヤケマイ展」のことについて言及したい。 展示が行われた、二期ギャラリー「冊」はまるで書斎のようだった。 そこにオブジェのようなミヤケマイの作品が陳列されていたり、 大きな画が展示されていたりする。松岡正剛の選んだ書籍と 彼女のアートの展示が独特な魅力を作り出した。 千鳥が淵の傍の緑の深いとても気持ちのいい空間の中、 素敵な時間を味わうことが出来た。 また、長々と書いてしまいました。 すいません。 さて、来年はどんな年になりますやら。 96歳になる、日野原重明氏が、 常に新しいことをやり続けることの素晴らしさを 熱く語っているのを読んでビックリしたと同時に感心しました。 僕も、いつも新しいことに挑戦しながら変化し続けられる人間になりたいです。 来年もヨロシクお願い致します。
by haruharuyama
| 2006-12-30 00:00
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