1906年6月2日生まれ-2005年4月17日没。
すごい先生がいたんだなあと感心した。「女王の教室」どころじゃあない。
戦前、戦後と教育の最前線にたって国語を教えつづけられたそうだ。
90歳をすぎてからも積極的に公演活動を行なわれていたらしい。
ひょんなことから録画していた
NHKアーカイブスの「あの人に会いたい」の特集を見ていた。
その中の一人として取り上げられていた。
最初は、へー国語の先生を取り上げてるんだあ、面白いねえ。
みたいな気持ちで見ていたのが、見ていてどんどん惹き込まれ
最後は、大村先生の言葉が深くココロに残った。
教えるというのはどういうことかを真摯に語った言葉は強い。
彼女は、自分がいつも新鮮に生徒に教えることが出来るため
決して、同じ教材を使わなかったそうだ。
戦後すぐ、深川の中学校に赴任してきたとき、
生徒たちは教室内で遊びまわっていた。
当時は、新聞紙は包装したり煮炊きしたりの際の貴重な資源だったので
簡単に手に入れることはできなかった。
それを、どうにかこうにか生徒が読めるものを集めて、
教材として生徒に配布するや、
遊びまわっていた生徒たち全員がシーンとなって、
知的な飢えを癒すかのように
学ぶ意欲の塊のようになって活字を追っていたそうだ。
その光景を見て、
大村先生は学ぶ意欲は皆一様にあることを実感したそうだ。
そして、その素晴らしさを同時に感じられたそうだ。
大村先生はまた、このようにもおっしゃっていた。
生徒たちが授業中、話を聞かないので、
「静かにしなさい!」などと言うのはおかしいのだと。
教師として、本当に生徒たちが興味を持つような話を
私はしていたのだろうかと自問するらしい。
面白い話ならば、生徒たちは絶対に集中してその話を聞くものだと。
そのための努力を教師はし続けなければならない。
「なになに、しなさい。」ではなく生徒たちが主体的に、
学ぶ事を面白がれるように教育することこそが
教師の務めであるとおっしゃっているのを聞いて、ひれ伏した。