今村昌平の初期の作品である。
1950年代の日本映画は、どうしてこんなに芳醇なんだろう。
もちろん、そうでもない映画もたくさん作られていたのかも知れないが、
そうでもない50年代の映画を上映するところなんてない。
また、そうでもない50年代の映画は現存していないのかも知れないな、と思った。
ということで、現在見られる50年代の日本映画は、
いま見ても十分に面白い、というか、今のものよりも、
格段に面白いといった方が正解だろうか?
優れた才能が、映画というコンテンツだけに集中した時期だったのかも知れない。
現在、映画バブルと呼ばれていてものすごい数の邦画が製作され、
公開されている。
誰かに聞いた話なので正確ではないかも知れないが、
昨年、700-800本以上の映画が製作され公開されたらしい。
もちろん、上映館が決まらずに、製作をしてしまったものもたくさんあったと聞く。
その中から、50年代の日本映画のような
キラメキを伴った作品がいったいいくつ出てくるのだろうか?
今後、現在の日本映画に対して、そういったことが問われてくるだろう。
オープンセットをつくったのだろうか?
大阪と広島の間にある街の「新町商店街」という町並みを作り上げている。
そこでのオープンセットとスタジオで作られた穴倉のセットとで映画は進行する。
戦前に軍が、大量のモルヒネをドラム缶に詰めて隠していたものを、
戦後になって掘り出して、大儲けしようという輩たちの話である。
4人の男と妖艶な女=渡辺美佐子が商店街の空き家を借りて、
地面を掘り返し、十数メートル先の肉屋の地下まで掘り進み、
地下に眠っているドラム缶を奪取しようとするのである。
彼らのドタバタの騒動が、一流のコメディになっている。
長門裕行と肉屋の娘=中原早苗との交流が、彼らとの対比をより強くあぶりだす。
エンディングの暴風雨の日に、「ブツ」を獲得し、仲間割れをし、
独り占めしようと画策する輩たちが面白い。
大雨と暴風の中、びしょぬれになりながら
モルヒネを抱えて逃げていく渡辺美佐子の体当たりの演技に感動する。
今村昌平の描く世界はいつも「欲」に満ち溢れている。
極端に描かれた「欲」は、ついには「生」への「性」への
限りない肯定につながっていくことを実感する。