初演を見たのは2000年。
青山円形劇場フェスティバルの一環だった。
もう、そのフェスティバルも今は行われていない。
初演を、平日の夜、カミサンと二人で見に行った。
妙に客席が空いていたような記憶がある。
僕たちは最前列でこの舞台を見た。
あまりの造りの丁寧さと演出のうまさ、
そして何より戯曲の素晴らしさに打ちのめされた。
ラストシーンは永遠に忘れられない。
さて、7年ぶりの再演である。
同じ戯曲をやるものだと思っていたら、随所に変更が見られ、
現代に合うように設定や小道具などが変更されている。
現代劇、いや現在劇はこのようにしていかないと、
見ているものが興ざめしてしまうのだろうか?
2000年という設定はこの舞台の場合、特に意味を持たない。
先日見たユージンオニール作、栗山民也演出「氷屋来たる」の
何も戯曲から変更がないものという意味との違いを考えた。
また、KERAが先日、行った、
岸田國士の舞台「犬は鎖につながれている」の演出のことも思い出した。
KERAは戯曲を再構築し大胆に台詞も含めての改変が行われていた。
弘前から少し離れた田舎町が舞台である。
長谷川孝治は「浪岡町」のことを書いたのだろうか?
「浪岡」は何もなく、地方に特有のショッピングモールと
豊かな自然が混在している街だった。
中村屋書店の創業者だった父親が亡くなった。
斎場での数時間の話である。
それぞれが、それぞれの思いを抱えて人生を生きている。
様々な台詞から様々な人生があぶりだされてくる。
長谷川の戯曲は、長谷川自身が教師であることも影響しているのだろうか?
インテレクチュアルな台詞回しが多用される。
弘前文化人という方々がいらっしゃるとしたら、
そういった人たちはこんなにも知的な会話を繰り広げているのかと
驚くとともに、これは長谷川孝治自身から出てきた言霊に違いないとも思う。
しかし、長谷川自身も台詞の中で語っている。
論理が先にたつとそれを超えられなくなるのだというような意味のことを。
彼は知っているのだ、演技をすることによって俳優たちが、
その場が起す奇跡の事を。
この舞台を見ていつも思うことがある。
人がものを食べるという行為は何て素晴らしくて汚くて人間らしくて
崇高で悲しみに満ちているのだろうか?
人間は食べ続けなければ生きていけない、
他の生を犠牲にして自らが食べることによって生きていくのである。
そのことを正面から突きつけられる。
生きているということの矛盾を抱えながら。
その現実を前にすると論理なんてふっとんでしまう。
自然に囲まれて日々を過ごしている長谷川孝治だから
描きえることがここにあるのかもしれない。